三成の子供の産まれた順に、現代の子孫を書いています。

ご興味があるところを目次からご覧いただいても良いかもしれません。

芸能人

芸能人の石田三成の子孫はいません。

(本人が語っていない、本人が知らない可能性はあるかもしれません。)

 

石田三成次女の現在の子孫

三成の次女の系譜は、大奥の実力者である祖心尼(そしんに)と親戚関係であったこともあり、次女の血脈は徳川家に流れます。

<今上天皇>

この次女の系譜から現在の子孫である今上天皇(きんじょうてんのう)へつながります。

今上天皇の祖先として織田信長や徳川家康の話はご存知の方も多いかもしれませんが実は、石田三成も祖先の一人です。

石田三成の曾孫であるお振りの方が、徳川家光の側室となり、千代姫を産みます。

その千代姫の孫である徳川吉通(よしみち)の娘の徳川三千君を通じて、

三成の血脈は、現在の皇室である今上天皇へとつながります。

どのように天皇へ繋がったのか、詳細は別の記事に記しています。

この記事下からご覧いただけますので、ご興味のある方はご覧ください。

 

スポンサーリンク






石田三成長男の現在の子孫

石田三成の長男(石田重家)は、関ヶ原の戦い後、出家し宗享(そうきょう)と称します。

出家していますので子孫はいないかと思われていましたが、いらっしゃるようです。

関ヶ原の戦い当時、妻は妊娠していたという説があります(伝承の域を出ないため真偽は不明ですが、それ以外ないかもしれません)。

石田直重(三成の長男の子)は、松平忠直(徳川家康次男である結城秀康の長男)の庇護をうけたそうです。

その後、妙高市(新潟県)の新田開発を命ぜられ定住したと伝わります。

<妙高ホテルの元経営者>

その三成長男の系譜から、現在の子孫である「石田館 妙高ホテルの元経営者」に繋がるそうです。

2013年に「石田三成の子孫が経営するホテルが破産」というニュースがありました。

石田三成の子孫の宿として大正時代に新潟県妙高温泉開湯から、2013年まで旅館業を営んだ老舗の温泉ホテルだったそうです。

スキーブームの頃、2億円を超える売り上げの時があったそうですが、スキーブームが終わり、日本経済の低迷などで経営環境が厳しくなり、業績の改善が見込めず破産してしまったそうです。

 

 

石田三成次男の現在の子孫

石田三成の次男である石田重成は、関ヶ原の戦い後、津軽家を頼って津軽(青森県)に落ち延びました。

その後、杉山源吾と改名し、隠れるように暮らしながら、弘前藩に仕えます。

杉山源吾の嫡男である杉山吉成は、藩主の娘を正室に迎え、弘前藩家老職となります。

以降の杉山家当主は弘前藩の重臣として仕え幕末まで続いています。

明治時代に入ると、津軽に豊臣秀吉を祀った豊国神社(とよくにじんじゃ)を再建しています。

<白川 亨氏>

2012年に亡くなってしまいましたが、三成次男の現代の子孫に三成の研究家でもあった白川 亨氏がいます。

望月印刷会社の元代表取締役、1979年胃がんの為全摘し、後に代表権を返上し、退社後は石田三成の研究に専念します。

研究を始めた当時は、石田三成は豊臣秀吉の腰巾着のような存在で、佞姦(ねいかん)の輩(はい)であると認識している人が多い時代でした。

研究をしそれは誤った姿とわかり、祖先の汚名を雪(そそ)ぎたいとの趣旨の記載が著書にありました。

白川 亨(とおる)氏は、石田三成の新の姿を知る為に、三成子孫宅から門外不出文書である由緒(ゆいしょ)を借り、各家の由緒を照らし合わせ、文献を調べ、ゆかりの地に赴き研究結果を本として出版します。

管理人は4冊白川 亨氏著書を保有しており、執念と熱意を感じる力作だと思っています。

当時の三成像と違った為、大きな反響があったそうです。

真説と認められ現在に至っていることもありますが、通説となっていないことも多いです。

通説となっていない説でも、当時の人が書いた書状、日記、子孫宅にある門外不出の書をつなぎ合わせ、謎の糸をほどくように論証しています。

真実であろうと思う記述も多々あります。

通説にならない理由の一つは、中立性に疑問を持たれているのかなと個人的には思っています。

その一方で、通説には軍記物を根拠にしている時もありとても残念に思います。

筆者は真実を記したいので、通説を疑問に思う時は、白川亨氏の言葉を紹介させていただいています。

ご自身で読んでいただいた方が納得できると思います。

白川 亨氏著書を一人でも多くの人にご覧いただけることを願っています。

<佐賀郁郎氏>

佐賀郁郎氏も三成次男の現在の子孫で、三成の研究をした方です。

佐賀郁郎氏は、農協電算機機研究センター常務理事、農林放送事業団常務理事、日本有線放送電話協会会長を歴任しました。

佐賀郁郎氏は兄から津軽に逃れた三成の子孫である旨を聞かされ、自らのルーツを探っていく経過を書かいた「石田三成と津軽の末裔」という本を出版されて筆者も所持しています。

 

 

石田三成三女の現代の子孫

 

石田三成の三女である辰姫は北政所の養女として弘前(ひろさき)2代目藩主・津軽信枚(のぶひら)に嫁ぎ、3代目藩主・津軽信義(のぶよし)を生んだことで弘前藩主に三成の血脈が広がり、3代目から10代目までの藩主は三成の血脈となります。

その後、養子を迎え弘前藩主直系としての三成の血脈は途絶えますが、弘前藩主から枝分かれし現代の有名な子孫へつながります。

北政所の養女として津軽家に降嫁した三成三女・辰姫の話はこちらです。

👇
石田三成の子供~三女 辰姫~

 

その辰姫が生んだ子である弘前藩主3代目・津軽信義の記事はこちらです。

👇
石田三成の子孫~津軽信義とその子孫~

 

弘前藩主3代目から10代目までが三成の血脈である話はこちらです。

👇

石田三成の子孫~まとめ~

 

<三菱財閥3代目総帥・岩崎久弥(ひさや)の妻>

さすが藩主の系譜というところでしょうか、現代の財閥や有名企業の経営者などへつながります。

三成の(玄孫<やしゃご/げんそん>)である弘前藩5代目藩主・津軽信寿( のぶひさ)の娘である於染(おそめ)は、上総飯野藩(かずさいいのはん)(現千葉)の第5代藩主である、 保科正寿( まさひさ)の正室になります。

その娘・於染と上総飯野藩第5代藩主・保科正寿との間にできた子供が、上総飯野藩第6代藩主・保科正富(まさとみ)です。

※側室腹ではありません。

その後、幕末まで藩主の子供が後を継ぎ、最後の藩主である保科正益(まさあり)(子爵)の娘である寧子(しずこ)から三菱財閥へ繋がります

寧子(しずこ)は、岩崎弥太郎(いわさき やたろう)(三菱財閥の創業者で初代総帥)の長男である岩崎久弥(いわさき ひさや)に嫁いで3男3女をもうけます。

 

スポンサーリンク






 

<長男・彦弥太氏(ひこやた)>

三菱合資会社副社長、三菱財閥傘下の企業の取締役、三菱地所取締役などを歴任しました。

妻は、旧出羽国秋田藩主佐竹氏の分家である、佐竹義準男爵三女である操子です。

<息子の寛弥氏(ひろや)>

三菱本社副社長、戦後は三菱地所取締役を歴任しました。実子はいないそうです。

 

<次男・隆弥氏(たかや)>

三菱瓦斯会長、三菱製紙会長と相談役、小岩井農牧の会長を歴任します。

妻は、元日本銀行総裁・池田成彬の長女である敏で、1男(岩崎東一)4女に恵まれます。

お子さんの詳細は不明です。

 

<三男・恒弥氏>

東京海上火災保険常務、小岩井農牧取締役などを歴任します。

妻は海軍中将清河純一長女である勝代です。

 

<長女・美喜氏(みき)>

外務官僚である沢田廉三と結婚し、4人の子をもうけます。

第二次世界大戦後に、アメリカ軍兵士などの連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれ、両親からも見捨てられた混血孤児たち

を救うため、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げたそうです。

 

<次女・澄子氏>

伯爵である甘露寺受長(かんろじ おさなが)(大正天皇の御学友)の弟である方房(現在の東海カーボンの監査役)に嫁ぎます。

 

<三女・綾子氏>

福澤諭吉の孫・堅次に嫁ぎます。

流石の三菱財閥、華麗すぎる一族ですね。

 

 

石田多加幸氏

正室の子の子孫か、側室の子の子孫か不明ですが、現在の子孫とのことです。

写真家で「石田三成写真集」を出しているそうです。

又、石田三成のお墓は発掘され骨を接合し、顔が科学復元されているのですが、石田多加幸氏からの依頼で石膏復顔が行われたそうです。

1976年に「蘇った石田三成の顔」として発表されています。

澁谷理恵子氏

三成の現在の子孫とのことで「石田三成の末裔として育った」という本を出版されています。

その本の内容説明を引用します。

私の生家・澁谷家は、新潟県の三条市にあった。石田三成の末の娘が、大坂落城のおり乳母に抱かれ、その里を頼って越後の高田に落ち延び、二代の女婿を経てから三条の地に落ち着いた、と言い伝えられて来た。

私は、こちらの本を所持していませんので、詳細はわかりません。

ただ、この文章を読む限りでは、三成の正室との間の女児ではなさそうですね。

これが事実だとしたら、新潟へは三成の長男の子供が匿われているので、長男の子のことなのか、相馬藩(福島県)に側室の子供が匿われたそうなので、そのことなのか、全く別の側室の子供なのかという感じでしょうか。

その他にも、書籍などで石田三成の子孫の方を拝見することがあります。

ですが、現代の子孫の殆どの方は一般人ですので、当ブログでは書籍などを出版している方などを記載いたしました。

又、三成長男の子孫について、存在が疑問視されていますが、石田重家(長男)の15代目子孫である石田秀雄(ひでお)さんという方がいらっしゃることを付け加えさせていただきます。

参考・引用・出典一覧

三成次女の系譜が天皇家につながる詳細はこちらの記事に記載しています。

👇

石田三成の子孫~徳川家光の側室・お振りの方~

 

三成の次男と次男の嫡男・杉山吉成の詳しい記事はこちらこちらです。
👇
石田三成の子供~次男 石田重成~

 

石田三成の子孫~津軽杉山家の吉成~

 

石田三成の正室・側室の子供~まとめ編~

 

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング