石田正継(まさつぐ)

正継は石田為広(名前に諸説あり)の子として生まれます。

生誕年月日は不明です。

 

Ishida_Masatsugu

出典:wikipedia

石田家は、近江国坂田郡(さかたぐん)石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)出身の豪土(どごう)(土地の小豪族)であるとされ、正継の頃は村長的存在であったとの見方が有力です。

近江守護の京極氏、又は浅井氏に仕えたともいわれますが、豪土であったことに変わりはありません。

正継は、和漢の学に通じ、万葉集を読む教養豊かな武人であったと伝わります。

 

正継の名前

正継の名前には諸説ありますが、石田家の記録である「霊牌日鑑(れいはいにっかん)」、「極楽寺系図」、「石田系図」ともに「石田藤衛門為成(ためなり)」としているそうです。

※ですが、「石田藤衛門為成(とうざえもんためなり)」とする説もあり、この名前で書状も出しています。

複数の文献を読んだところ、おそらくどちらも名乗っていたものと個人的には解釈しています。

後に、石田三成が豊臣秀吉の有力家臣になり、石田隠岐守(おきのかみ)正継(まさつぐ)と名乗り、現代では「正継」として知られています。

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領内の政治を正継が代行

三成は秀吉のそばに仕えていたので、正継が代わって領内の奉行や城主の仕事をしていました。

三成が秀吉に引き立てられると、正継も近江国内に3万石を給され、従五位下(じゅごいげ)・隠岐守に任官します。

(※私の所有する複数の文献では「3万石」ですが、ウィキペディアでは「三成が佐和山城主に封ぜられると、正継も近江国内で300石を食み~」となっていました…。

三成が佐和山城主の時に、三成の代わりに領地を取り仕切る父・正継は300石とは…、個人的には腑に落ちませんが、どちらが正しいかは断言できませんね。)

三成に代わり、正継の名前で出された二十数点の文章が確認できています。

領民目線に立った温情のある文章で、理解しやすい言葉で書かれているそうです。

又、1596年に三成は、村々へ情のある立派な掟をだしています。

三成の善政とされる施策ですが、父正継の影響があったと推測されています。

 

三成の掟

この掟は、百姓にも理解できるように、かなを多く使っていることが特徴でもあります。

年貢が三成の蔵へ入る村(蔵入り地)(くらいりち)へ出した十三か条の掟書と

年貢が家来のものになる村(給人地)(きゅうじんち)へ出した九か条の掟書等との2種類があります。

二つに大きな差はありませんが、内容の一部を紹介します。

百姓から必要以上に夫役(ぶやく/ふやく)(年貢など労働)を出すことの禁止、耕作者の権利を保障、三成への直訴を許すことなど、農民保護を明確にしています

農民の目線に立って書かれた掟は、当時としては、かなり民主的な掟であったようです。

三成に関する文書は抹殺されるなどしたためか、殆ど現存していない中、この掟だけは複数存在しています。

三成を慕う領民達が宝物のように残していたのかもしれません。

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正継の人間性

正継は、京極氏の元有力家臣で下剋上により衰退した上坂氏と交わした手紙が残っています。

相手を思いやる人柄がにじみ出たような手紙です。

衰退した上坂氏は、旧領主であるにもかかわらず、村人に尊ばれなくなります。

その村人に対し、正継が発したとされる言葉が残っています。

少しくらいのことは我慢して敬意を示しなさい。今は衰えているが、昔は村の領主であった方なのだから、道で出会ったら、腰をかがめて礼をしなさい。そうすれば、天道の恵みにかなって村は繁盛するでしょう。これに反するようなことがあれば、草木でさえ枯れてしまいますよ。そう心得ることが大事です。

と諭(さと)したそうです。

戦国の世にありながら、相手に対する気遣いと、相手の立場に立って考えることのできる正継の姿がみえるようです。

石田正継、三成親子は相手の身分に関係なく相手を思いやることができる人であったようです。

関ヶ原の戦いの後、三成を必死に匿った村人や、領主・石田家滅亡後も三成を秘かに慕う人が多かった理由がみえてくるようです。

 

正継の最期

関ヶ原の戦いの時は、三成の居城である佐和山城の留守居を務めています。

石田家の主力部隊は関ヶ原の戦いに出陣していましたので、佐和山城には、一族衆や援軍など総勢2800名であったと伝わります。

佐和山城を死守していたものの、ついに落城し、本丸客殿において自害します。

供養塔は、三成の長男が住職を務めた妙心寺寿聖院(みょうしんじじゅしょういん)に残っており、現在も供養が続けられています。

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妙心寺寿聖院の住職になった三成の長男の記事はこちらです。

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石田三成の子供~長男 石田重家~

 

佐和山城落城時に、三成兄の家臣であった津田清幽(つだ きよふか/せいゆう)の直談判により、徳川家康に助命された三成の3男佐吉の記事はこちらです。

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石田三成の子供~三男 佐吉~

 

三成の兄の記事はこちらです。

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石田三成の兄・石田正澄

 

参考・引用・出典一覧

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