石田三成が使用した「大一大万大吉」の旗印について、読み方、意味、石田為久(ためひさ)について記載しています。

 

石田三成の旗印の読み方

「大一大万大吉」は「だいいち だいまん だいきち」と読みます。

「大一大万大吉」の旗印

「大一大万大吉」の旗印

石田三成の旗印の意味

天下のもと一人が万人のために、万人が一人の為に力を尽くせば、人々の生は吉となり、太平の世が訪れる」という意味です。

 

文字毎の解釈

大 一 大万 大吉の文字毎の解釈を記載します。

・最初の字である「」は「天下
・次の字の「」は「1人の人間
・3と4つ目の字で「大万」は「万人多くの人々
・5と6つ目の「大吉」は、「幸福、平和、安泰」という意味であり、「太平の世」、「天下の安泰」などと解釈できます。

又、本来は「一」を「かつ」と読み、縁起の良い文字を重ねたものとも伝わります。

 

旗印の意味と石田三成

石田三成は、乱世(らんせい)を終息させ、誰もが幸せに暮らせる太平の世を築くことを目指していたと伝わります。

その実現の為に、相応しい主君として、三成は豊臣秀吉に忠誠を尽くしていました。

一方の徳川家康も太平の世を目指していた点は同じでした。

太平の世にする為のまとめ役でもある天下人を誰にしたいかが、三成とは違かったので、

お互いに同じ志がありながら、戦になり三成が亡くなってしまう…戦国の世とはいえ、とても残念な思いがします。

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石田為久の旗印

私は最初にこのことを知った時、現代でいうところの相互扶助、英語でいう One for All All for One の考えが、戦国時代にあったことに驚きました。

私は、石田三成のことを知る程に、現代人に近い感覚を持っていたように感じます。

ただ、この旗印は石田三成が採用したわけでなく、三成の祖先の可能性のある石田為久(ためひさ)(石田次郎為久、石田判官為久)も使用していたそうです。

 

石田為久

ここで、石田為久とはどのような人物か記載しておきます。

三浦氏(平姓直系の氏族)の一族で、平安時代末期の相模国(神奈川県)の武将です。

1184年に治承・寿永の乱で、木曽義仲を討ち取ったと平家物語などで語られています。

※木曽義仲を討ったのは伊勢義盛(いせ よしもり)とする説もあります。

 

石田家の記録

石田為久が、三成の祖先と言われる所以はどこにあるのでしょうか。

石田家の記録が記された「霊牌日鑑(れいはいにっかん)」、「極楽寺系図」共に、石田三成の祖先は石田為久と記してあるそうです。

極楽寺系図によると、石田為久から4代目の石田孫太郎義遠が、室町幕府が成立した頃に、

近江国高島群石田庄(滋賀県)の地頭(じとう)(鎌倉・室町幕府が管理支配するために設置した職)になった旨の記載があるそうです。

石田三成の生誕地は、近江国(滋賀県)です。

4代目が、相模国から近江国へ移住したということかなと推測できます。

又、石田為久から13代目は藤右衛門(三成の父)との記載もあるそうです。

※ここことは、石田家の記録である「極楽寺系図」に記されていることであり、通説と認定されているわけではありません。

又、「大一大万大吉」の旗印は、石田家以外でも使用しており、石田家の旗印ということではありませんが、祖先に血縁関係があった可能性はあります。

 

石田為久のお墓

石田為久のお墓

石田為久のお墓

神奈川県伊勢原市にある円光院(えんこういん)という寺院は、石田為久の居城跡と伝わります。

石田為久の墓もこの寺院に残っているそうで先日尋ねました。

石田為久の墓がどこか探しましたが、本堂の最上段で見晴らしの良い上にありました。

円光院の真ん中くらいの位置でしたので、一番良い場所かもしれません。

訪れる予定のある方は1枚目の写真にネットが写っていますが、運動場のネットですので目印にしていただくと探しやすいと思います。

 

また、一緒に眠っている石田為景はお父さまとのことです。

石田為久のお墓石

石田為久のお墓石

円光院の碑石

円光院の碑石

 

アクセス・地図

〒259-1116 神奈川県伊勢原市石田928

 

 

 

電車:小田急線・愛甲石田駅・南口出口から徒歩10分

車:東名厚木インター厚木西出口から、鍵田信号を右折すぐ

参考・引用・出典一覧

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