石田三成の年表を簡単に

石田三成の年表を西暦と年表表記で、出来るだけ簡単に書いています。

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永禄3年(1560年)1歳

近江国坂田郡石田村に生まれる。

父は石田正継、幼名佐吉。

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正2年(1574年) 15歳

石田三成がお寺で修行中、長浜城主秀吉と出会い見いだされたという(三献茶の逸話)。

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天正5年(1577年)18歳

三成が秀吉に仕官したのは、秀吉が播磨姫路に在陣中の時との説あり(『霊牌日鑑』)。

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天正10年(1582年)23歳

本能寺の変が起き、山崎の戦いで秀吉が勝利する。

秀吉の側近として三成も台頭していく。

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天正11年(1583年)24歳

賤ケ岳の戦いに関わり、浅井郡称名寺に書状を発する。

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天正12年(1584年)25歳

小牧・長久手の戦いに三成も従軍し、尾張国小牧の秀吉の陣所にいた。

石田三成、近江国蒲生郡今在家村検地奉行となる。

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天正13年(1585年)26歳

秀吉の紀州攻めに従軍する(『宇野主水日記』)。

石田三成、従五位下・治部少輔に叙任される。

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天正14年(1586年)27歳

石田三成の重臣・島左近召し抱えの逸話が残る(『常山紀談』)。

石田三成、上杉景勝の上洛を迎え、秀吉に臣従を斡旋する。

堺町奉行になり貿易の監掌、堺の町の埋め立てなどを行う。

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天正15年(1587年)28歳

秀吉の九州攻めに三成も従い、九州陣に兵糧や武具の輸送を担当。

平定後、石田三成は博多奉行になり、黒田孝高らと共に博多復興に尽力する。

秀吉に屈しない島津への対応をはかる為、石田三成は日向国へ赴く。

石田三成は細川藤孝(幽斎)と共に島津義久を訪ねる。

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天正16年(1588年)29歳

石田三成の斡旋により、島津義久が大坂で秀吉に謁見する。

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天正17年(1589年)30歳

石田三成、美濃検地を務める。

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天正18年(1590年)31歳

石田三成の取り成しで、津軽為信が秀吉に主従する。

石田三成は、秀吉の小田原征伐に従軍し、館林城を攻めをし開城させる。

忍城へ転戦して水攻めにし、やがて開城させる。

石田三成、佐竹義宣が秀吉に謁見するのを斡旋する。

石田三成、奥州の検地奉行を務める。

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天正19年(1591年)32歳

近江国内犬上・坂田郡、美濃国の蔵入地の代官になる。

石田三成、佐和山城に城代としての入城する。

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文禄元年(1592年)33歳

秀吉の朝鮮出兵に従い、石田三成は、大谷吉継、牧野利貞、岡本宗憲らと共に、船奉行に任じられる。

石田三成、秀吉の代わりに朝鮮へ渡海。

石田三成は増田長盛、大谷吉継と共に総奉行を務める。

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文禄2年(1593年)34歳

石田三成、碧蹄館の戦い、幸州山城の戦いに参じる。

明軍偽りの講和使者・謝用梓、徐一貫を伴って肥前名護屋城に戻る。

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文禄3年(1594年)35歳

島津領検地が開始される。

石田三成の母・瑞岳院が亡くなり、葬儀を大徳寺三玄院で行う。

佐竹領検地が行われる。

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文禄4年(1595年)36歳

高野山に追放されていた秀吉の甥・豊臣秀次が切腹する。

石田三成は近江佐和山19万4,000石を拝領し、正式に佐和山城主となる。

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慶長元年(1596年)37歳

石田三成は増田長盛、長束正家、前田玄以らと連署して豊臣秀頼への忠誠を誓う。

佐和山領内に十三ヶ条掟書、九ヶ条掟書を下す。

石田三成、畿内地方で起きた大地震の復旧にあたる。

石田三成、京都奉行になる。

石田三成はキリシタン弾圧を命じられたものの、キリシタンが死罪にならないように奔走する

大坂城に明の講和使節 揚方亭、沈惟敬らを迎えるものの、決裂し朝鮮へ再派兵が決定する。

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慶長2年(1597年)38歳

朝鮮再出兵が始まり、石田三成は後方支援を担った。

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慶長3年(1598年)39歳

石田三成は失脚した小早川秀秋の旧領地・筑前へ代官として赴任する。

上杉氏の会津転封に伴い、上杉家家老・直江兼続と三成が連署して、会津領に禁制を発給する。

豊臣秀吉没し、在朝鮮軍撤兵。

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慶長4年(1599年)40歳

四大老、石田三成ら五奉行で、徳川家康が秀吉の遺命に背いたことを責める。

対徳川の要・前田利家没す。

石田三成は、細川忠興ら七将に襲撃され、家康の勧告を受け入れて佐和山城に引退する。

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慶長5年(1600年)41歳

徳川家康、上杉征伐のため東国へ向けて出陣。

『内府ちがいの条々』が発せられ、対立が明確になる。

石田三成、伏見城の戦いに参じる。

石田三成、美濃へ出陣し、関ヶ原にて相まみえる。

関ヶ原の戦いで大敗し、古橋村にて田中吉政に捕らえられる。

石田三成は小西行長、安国寺恵瓊と共に京都六条河原で処刑される。

参考・引用・出典一覧
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