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三献茶とは石田三成15歳の時に、後の主君である豊臣秀吉に、3杯のお茶を立てた際の石田三成の気配りができる様子から、

豊臣秀吉が石田三成の才能を見出し、豊臣秀吉に請われて士官したと伝えられている話です。

今回は石田三成の逸話として有名な三献茶についてまとめます。

 

三献茶とはどのような話なのか

秀吉と三成の銅像

秀吉と三成の銅像

この当時の豊臣秀吉は、織田信長の家臣の一人であり、現在の滋賀県長浜にあった長浜城主でした。

この話の舞台になったとされているお寺は、観音寺(かんのんじ、かんおんじ、かんのうじ)、法華寺(ほっけじ)、三珠院など諸説ありますが、

いずれも石田三成の生誕の地である滋賀県です。

中でも、三成の生家から近く、「三成茶汲みの井戸」と言われている井戸の遺跡も残る観音寺が有力と見られています。

 

どのような話なのか、江戸時代の歴史書である「武将感状記」から引用させていただきます。

石田治部少輔三成は、幼名佐吉、父石田藤左衛門・近郷真言宗の寺の児小姓とする。秀吉或る日、鷹狩りの時その寺に寄って茶を所望する、石田その時、最初に大きな茶碗に七・八分、ぬるくたてて差し出す、秀吉これを飲んで、舌を鳴らし、もう一服と所望する、石田その時、前より少し熱くして、茶碗に半分位にして差し出す、秀吉これを飲み、飲み試しにもう一服と所望する、今度は石田・小さい茶碗に少し熱くたてて差し出す、秀吉これを飲み、その気配りに感じ入り住職に請い近習に取り立てるに、才あり次第に認められ奉行職になる

 

少しわかりずらいので解釈を付けます。

 

「長浜城主であった豊臣秀吉は、鷹狩をした帰りに喉が渇いて、途中にあった寺に立ち寄ってお茶を頼みました。

そのとき対応した寺の小姓が、最初に持ってきたのは、大きな茶碗に沢山入ったぬるめのお茶でした。

秀吉は喉が渇いていたので、お茶を一気に飲み干し、もう一杯お茶を頼むことにしました。

そして小姓は、さっきよりも少し小さめな茶碗に、少し熱いお茶を半分ほど入れて持ってきました。

秀吉はそれをまた飲み干し、三度目の茶を所望しました。

そして最後に、小姓が出したお茶は、小ぶりの茶碗に熱々のお茶を少し入れたものでした。

この心意気と気の利く小姓の働きにとても感動した秀吉は、そのままこの小姓を城に連れ帰り家臣としたのです。」

 

この小姓こそが、若き日の石田三成だったという話が三献茶として知られています。

 

三献茶の話は史実なのか

この三献茶の逸話は『武将感状記<ぶしょうかんじょうき>』という逸話集が出典元で、史料的価値は高くないとされています。

石田三成はとても賢い人であったと言われています。

三献茶は、その賢さを表すような逸話に思えますが、史実でない可能性があります。

何故なら、三成の長男である石田重家が記したとされる石田家の記録である「霊牌日鑑(れいはいにっかん)」によると、

三成が秀吉に仕えるようになったのは18歳の時という記載があるためです。

その上、士官したのは姫路においてとなっています。

又、日本史の一級史料として認められていませんが、石田家の記録がされている「極楽寺系図」でも、

18歳の時に姫路で士官したと記載されています。

極楽寺系図によると祖母の実家である甲賀の多喜家を頼って家臣になったと記載されているそうです。

この極楽寺系図は「霊牌日鑑」の記録や奥州相馬藩に仕えた石田家の記録とも一致する資料です。

又、筆者個人的にも史実だと思っていません。

それは、江戸時代の書物に出てくる話であって、戦国時代当時の資料には残っていないことが理由です。

江戸時代に石田三成のことを良く描く話が創作されるのは、意外かもしれませんが、

三献茶にでてくるお寺に預けられた経緯は、石田家は貧しく、口減らしの為に寺に小僧にだされたと記載があり、

全文を読むと三成に対する好意的な逸話ではないそうです。

又、石田家は坂田郡(近江国にあった郡 )に代々存在した小土豪の家であり、三成生誕の地の屋敷跡も広く裕福な家だったそうです。

ですが、現在の通説では史実か史実でないかは結論はでていません。

石田三成ゆかりの地として観音寺は人気ですし、「三成茶汲みの井戸」なるものまであります。

長浜市の長浜駅前ロータリーには、秀吉と三成の「三献の茶」の一幕を表現した銅像まであります。

有識者も今更逸話とは認められない?のかなぁと思ったりします。

「三献」の意味

「三献」の意味を調べると

中世以降の酒宴の礼法。一献・二献・三献と酒肴(しゅこう)の膳を三度変え、

そのたびに大・中・小の杯で1杯ずつ繰り返し、9杯の酒をすすめるもの。式三献。

とのことです。

この三献の礼法は戦国時代より以前から存在したものであり、この礼法を元に創作されたのかもしれません。

 

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三献茶の読み方

ところで、三献茶は何とよむのでしょうか。

結論から申し上げると正式にはわかっていません。

辞書に載ってるお酒の儀式である「三献」は「さんこん」又は「さんごん」ですが、

滋賀県長浜で広く「さんけん(さんげん)の茶」と伝わっているそうです。

 

三献茶の井戸の遺跡が残る観音寺へのアクセス

三成ファンが沢山訪れる観音寺へは石田会館からクルマで5分です。

滋賀県米原市朝日1342
電話番号:(0749)58-2227

・公共交通
JR長浜駅からバス「観音寺前」下車徒歩約5分
・自動車
北陸自動車道長浜ICから車で約10分
・駐車場
10台

定休日:無休

 

石田三成のお茶の逸話で、盟友である大谷吉継との話があります。

大谷吉継とのお茶の逸話はこちらの記事に記載しています。

👇

石田三成の盟友・大谷吉継

 

参考・引用・出典一覧

 

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石田三成の旗印の読み方と意味

石田会館と御朱印について

三成の兄・正澄

長浜市石田町にある石田神社

石田三成公生誕の地

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