麒麟がくる39話あらすじ、感想 本願寺戦で原田直政が討たれる

麒麟がくる39話のあらすじ、感想記事です。

本願寺との戦に苦戦した織田軍は、大和の守護・原田直政を失い、その後、九鬼水軍を使って本願寺を追い詰める案を信長は思いつきます。

光秀は過労で倒れ、光秀が回復すると煕子が病で臥せります。

目次

信長 権大納言、右大将に任官

天正3年(1575年)、足利義昭(滝藤賢一さん)を追放した信長は、畿内を掌握しますが、依然として反信長勢力に囲まれていました。

近畿周辺には本願寺、丹波、雑賀衆、西国には毛利、三好、北東には武田、上杉、一向一揆が信長と敵対しています。

中でも、摂津の石山本願寺とは、5年に渡り戦をしています。

同年11月、信長は朝廷より権大納言、右大将(右近衛大将)に任じられ、武士としては源頼朝依頼の官職を得ます。

事実上、朝廷に天下人として認められたことを意味します。

去る5月の長篠(設楽ヶ原)の戦いにて、武田軍に甚大な被害を与えた信長(染谷将太さん)は、越前一向一揆を平定して武力の威勢を示していたのです。

長篠の戦いの再現馬坊柵
長篠の戦いの再現馬坊柵

ですが、武田勝頼が東美濃に進軍したとの知らせを受けた信長は、正親町天皇(坂東玉三郎さん)に任官の挨拶もなく、直ぐに京から岐阜城に戻ってしまいます。

前代未聞のことであると怒り心頭した三条西実澄(石橋蓮司さん)は、わざわざ岐阜城まで足を運んで、もう少し朝廷のしきたりを守るよう信長に苦言を呈しました。

信長 家督を織田信忠に譲る

しかし、信長は何事も無いような様子で、嫡男・織田信忠(井上瑞稀さん)に家督を譲ることにしたと告げ、今後、京での仕儀は信忠に任せると言います。

信長に促された信忠は挨拶をし、三条西実澄はあっけに取られます。

三条西実澄は、終わる気配のない本願寺との戦について、正親町天皇が案じていると言い、いつまで戦をするつもりかと尋ねます。

すると、信長は、正親町天皇に献上した蘭奢待を毛利(輝元)に与えたのは、何故かと質問で返します。

毛利とは信長と敵対し、本願寺を支える西国の大名です。

その毛利に信長が献上した蘭奢待を正親町天皇は与えた、信長は天皇に距離を感じ始めていました。

信忠に家督と共に岐阜城を譲った信長は、京から近い近江の安土に城を築き始め、政の中心を移します。

安土城天守台跡に残る礎石(そせき)
安土城天守台跡に残る礎石

安土城は、明智光秀の坂本城と同様に、琵琶湖に面した城です。

本願寺戦で原田直政が没す

天正4年(1576年)3月、顕如(武田幸三さん)率いる大坂本願寺(石山本願寺)が、再挙兵します。

信長に対して3度目になる挙兵です(石山合戦)。

信長は以前から本願寺を包囲していた荒木村重、細川藤孝(眞島秀和さん)に加えて、丹波攻めを行っていた光秀も呼び寄せ、織田家の精鋭部隊を送り込みます。

しかし、本願寺攻めの総大将で、大和の守護・原田直政(塙直政)は、本願寺近くの天王寺砦まで進軍しますが、本願寺勢の逆襲を受けて亡くなってしまいます。

天王寺砦があった付近(月江寺周辺)
原田直政戦死の地

総大将を失った織田軍は、戦意喪失し、打って出ることも、敗走することも出来ないくらい厳しい状況に陥ります。

光秀、佐久間信盛(金子ノブアキさん)、松永久秀(吉田鋼太郎さん)らと共に天王寺砦に籠城し、4日間が経過しました。

敵は想像以上に手強く、鉄砲1000丁を擁する1万3千の大軍であり、手勢の少ない天王寺砦だけでは如何ともし難い状況です。

織田軍は軍議を開き、他の砦の諸将らと連絡を取り合い、一気に攻めようと言う光秀の案で話がまとまります。

原田直政の家臣を打ち据える信長

すると突然、甲冑を身に着けず軽装姿の信長が現れ、異様な姿に一同驚いて息をのみます。

一方、討死した原田直政の家臣らは、負傷しており、動けずにいる者もいました。

苦戦する織田軍に信長は苛立ち、原田直政の家臣らを呼びつけ、原田の家臣で一向宗の信者がいるが、お前かと言いながら原田の家臣らを罵倒して、徹底的に打ち据えます。

諫めた光秀を打ち据える信長
打ち据える信長の絵 出典元:Wikipedia

光秀は直ちに間に入り、原田直政に油断があったわけではなく、敵が手強いのだと擁護します。

ですが、信長は負傷している原田直政の家臣を踏みつけながら、気合が足りないと大声で叱りつけます。

信者であるが故に、弾丸を込めずに鉄砲を撃った者がいると、信長は聞き及んでいるようです。

そして、信長は今すぐ打って出るよう命じますが、無鉄砲な命令に従う者はいません。

光秀は鉄砲隊の中には、精鋭鉄砲隊の雑賀衆が沢山いると言い、信長を制止しようとしますが、信長は譲りません。

信長被弾する

腹にすえかねた信長は、近くにあった鉄砲を手に取り、必ず勝てると息巻いて歩き出します。

光秀や秀吉(藤吉郎)(佐々木蔵之介さん)は、信長を引き留めようと後を追いますが、信長は振り返りもせず、敵の一斉射撃の中を突き進んで行きます。

その直後、足に弾丸を受けた信長があっけに取られているところを、光秀がギリギリで助け出します。

そして、光秀に命じられた藤田伝吾(徳重聡さん)が信長を担いで陣中に連れ戻します。

陣に戻った光秀を迎え入れた松永久秀は、最近の信長の暴挙ぶりでは、譜代の家臣も苦労するだろうと案じる中、光秀がガクッと倒れ込んでしまいます。

光秀 昏睡状態になる

信長が助かって安心したのも束の間、高熱を出した光秀は、陣中で意識を失ってしまったのです。

丹波国攻略を任されている光秀は、戦の過労が溜まっていると見られ、また大した傷でないと思っていた腕の負傷も原因のようです。

その後、藤田伝吾や斎藤利三(須賀貴匡さん)らは、意識のない光秀を京の館に連れて行きます。

煕子(木村文乃さん)やたま(芦田愛菜さん)は、生気を失った光秀の顔を見て、気が動転します。

いつもは気丈な煕子も、頼りになる光秀が元気でいるからこそです。

伝吾らは、傷口は浅いながらも毒が入ったのか弱ってしまい、大坂の医者は怖がるばかりで処置が出来ず館に連れてきたのだと言います。

取り乱した煕子は、裸足のまま家を出て、我を忘れたような様子で望月東庵(堺正章さん)の元へ行きます。

何事かと望月東庵は驚きますが、煕子に引っ張られて、何が何だか分からないまま光秀の館に到着します。

望月東庵が診てみると、光秀の脈は弱く高熱も出ている…。

治療の甲斐むなしく、後は神仏の加護を願うしかないと東庵の表情は硬くなり、駒(門脇麦さん)も沈痛な顔で、光秀の汗を拭います。

部屋の外に出た煕子は、苦しそうな様子になり、柱にもたれ掛かります。

そこへ、知らせを受けたお岸(天野菜月さん)が、「荒木の義父」に許しを得て、嫁ぎ先から帰ってきます。

煕子は、お岸とたまに光秀を任せ、近くにある神社に急ぎます。

雨の中、祈り続ける煕子

最近、息が苦しくなると感じている煕子ですが、今日は光秀が心配でなりません。

雨が降り続ける中、煕子は一心に祈り続けます。

目を覚まさない光秀の枕元で、お岸とたまが見守る中、駒は部屋を抜け出し煕子の様子を見に行くと倒れていた煕子を発見します。

煕子を連れ帰った駒は、雨で濡れた煕子を介抱し、具合が良くなった様子です。

そして光秀の容態は、少し良くなり、今は眠っていると聞くと煕子は安堵します。

煕子と長年の知り合いの駒は、煕子が取り乱した姿を初めて見たと言います。

かつて、美濃を追われ越前へ向かう時でさえ、気丈に振舞っていた煕子が、ここまで取り乱すとは。

本当は怖かったけれど、家を守る役目があると強がっていたのだと煕子は答え、越前での出来事を思い出します。

越前に逃れたものの、お金に困った煕子らは、駒から質屋のことを聞き物を売って生活の足しにしていました。

光秀は父・光綱の形見である数珠を質屋に持って行くよう煕子に言いましたが、煕子の機転で売らずに済み(18話)、今もその数珠を大事に持っています。

数日間、意識を失った光秀は、死の淵に立っていましたが、ようやく目を覚まします。

付き添っていた煕子、お岸、たまは歓喜し、たまが望月東庵を呼びに行きます。

光秀の脈を取った東庵は、大丈夫という表情で頷き、家中の者皆で安堵します。

本願寺戦の打開策は九鬼水軍

数日後、秀吉を引き連れた信長は、足を引きずりながら光秀の館に見舞いに訪れます。

幸いにも光秀の体調は直ぐに良くなり、正装して二人を出迎えます。

織田信長は、大坂本願寺を追い込む良い策を思いついたと、自信がある様子で話し出します。

大坂本願寺は包囲しても、同盟相手の毛利氏の水軍が船から、弾薬・兵糧を補給しています。

織田信長は、配下の九鬼水軍を使い水路を封じて、毛利の水軍を排除できれば、本願寺の弾薬・兵糧は底をつくだろうと考えたのです。

九鬼嘉隆の海軍艦隊
九鬼嘉隆の海軍艦隊 出典元:Wikipedia

明智光秀が良い策だと伝えると、信長は満足そうに頷きます。

大和の守護を誰にするか

そして、先の戦で亡くなった大和守護・原田直政の代わりに、誰を守護に据えるかと信長は言います。

難治の国である大和の守護は、古くからの領主である筒井順慶(駿河太郎さん)が良いだろうと信長は考えています。

しかし、光秀は筒井順慶を大和の守護に据えることには反対でした。

以前、大和を任されていて、筒井順慶と大和を巡り争っていた松永久秀は、納得しないと考えた為です。

光秀は戦になりかねないと断言し、信長との間に険悪な空気が流れます。

秀吉は、筒井順慶でも松永久秀でもない者が大和を治めるのが良いと提案し、自身が領主になることを願い出ましたが、家柄を気にする大和の国衆を秀吉ではまとめられないと信長に言われます。

そこへ、たまがお茶とお菓子を運んできて、その場の空気が和みます。

気を良くした信長は、よい嫁ぎ先を探すと言い、戸惑いながら光秀も了承します。

今築城中である安土城を見せてやる、高い山にそびえ立ち、大きくて美しい城であると言います。

お日様のように光り輝く安土城の天守閣からは、琵琶湖だけでなく、飛騨や伊勢の山も一望できる、その景色をたまにも見せてやると信長は言います。

夢のようですとたまは喜び、重々しい雰囲気はなくなりました。

細川ガラシャ(明智玉子)の銅像
戦国一の美女とも云われる「たま」

しかし、筒井順慶を大和の守護にする気に変わりはないようで、そう言い残し去って行き、光秀は不安を抱えることになるのです。

その後、光秀に話があると秀吉は残り、信長は天王寺の戦いで本願寺に懲りたようだと言います。

本願寺の手強さを伝えても聞く耳を持たなかった信長の薬になったと秀吉は呟きます。

細川ガラシャ(明智玉子)の生涯

徳川家康と信長の孫

その頃、三河の岡崎城では、武田勝頼の動向を注視する徳川家康(風間俊介さん)の姿がありました。

長篠の戦以来、三河を気に掛ける様子のない信長に対し、見捨てられたのかと家康の正室・築山殿(小野ゆり子さん)は案じます。

比叡山の焼き討ち、本願寺攻めなど神仏をも恐れない信長を築山殿は恐ろしく思っていました。

その信長と家康は、同盟関係だけでなく、親戚にもなっています。

徳川家の嫡男・信康の正室に信長の娘を迎え入れ、たった今、初孫になる姫を授かったとの知らせが入ります。

世継ぎとなる男子でなく女子が誕生したことで、役に立たない嫁であると築山殿は言い、見舞いに行くと部屋を出ました。

そして、家康は外で控えている菊丸(岡村隆史さん)に京の様子を尋ね、筒井順慶が大和の守護になることで、松永久秀の動きが気になると菊丸は言います。

また、織田家の譜代家臣と新たに加わった家臣とで意気込みに差があり、織田家家臣団は一体ではないと菊丸は見立てます。

信長は三河のことをどう思っているのかと家康が尋ねると、三河のことは忘れているとの見解を菊丸は述べます。

信長は安土城のことで頭が一杯で、信用できそうな人物は光秀ではないかという菊丸の言葉に家康は頷きます。

煕子の最期

その頃、光秀の回復と入れ替わるように煕子が病になり床に臥せっていました。

左馬助(間宮祥太朗さん)と駒が伊呂波太夫(尾野真千子さん)の一座を招き、煕子の回復を願う踊りが行われていました。

今日は顔色が良いと言われた煕子は上機嫌になり、駒から教わったという左馬助の踊りを観ています。

その日の夜、楽しい時を過ごした煕子が余韻に浸っていると、光秀がやってきて縁側に並んで語り合います。

かつて煕子は、光秀に温石(暖を取る為に温めた石)(12話)を手渡したことがあります。

この直後、二人は結婚をしますが、光秀は石を捨てずに持っていたのです。

光秀は、その石が見つかったと持ってきて、二人で懐かしみます。

煕子は、坂本城に行き夢のように思ったこと、越前で幼い子供達と過ごした日々を思い出します。

そして、留守を守り続けた煕子に光秀は労いの言葉を掛けます。

煕子は越前に逃れる際、駒から麒麟の話を聞き(18話)、「麒麟が呼ぶ者が十兵衛さま、貴方であったなら」とずっと思っていたと光秀に言います。

穏やかな世になるまで、後どの位戦があるのだろうか、岸やたまの子供は戦を知らずに生きれるのか、平和を願い光秀と煕子は寄り添います。

天正4年(1576年)秋、煕子は没しました。

光秀の妻・煕子のお墓
西教寺の煕子のお墓

妻木煕子| 明智光秀の妻の生涯

麒麟がくる39話の感想

史実上の天王寺砦の戦いでは、窮地に陥った光秀らを信長の援軍が駆け付け救っています。

3000の寡兵で1万5千の敵に突撃した際に、信長は足に銃弾を受けています。

麒麟がくるの主役は光秀なので、助ける人と助けられた人が入れ替わったようですね。

信長は負傷しながらも本願寺勢と第二ラウンドをする決意をし、家老らに反対されていますので、そこを切り取ったのかもしれないと思いました。

信長の狂気の様相が描かれましたが、突然のキャラ変に感じました。

「母の愛に飢えていた信長は、人に誉めてもらいたい欲求があり、その為には残忍なことも悪気なくしてしまう」

というのが麒麟がくるでの信長像だと思っており、斬新で気に入っていましたが、ありがちな暴君信長像に変わったので残念に感じました。

また、前回は丹波平定戦が始まった所で終わりましたので、39話はその続きか、ナレーションで違和感を無くしてからが良いと思いました。

史実の光秀も丹波攻略に苦戦する中、信長に駆り出されて各地を転戦します。

その一つが天王寺砦の戦いですが、話が飛び過ぎて、分かりずらい視聴者もいそうに思います。

史実上でも過労で昏睡状態に陥っていて、転戦により丹波平定に5年を費やす一因にもなるわけですが、麒麟がくるを観ても前回と繋がっていないですし、良く分からないですね。

長篠の戦いが既に終わっていたことが、築山殿の発言で明かされました。

通説によると3,000丁もの鉄砲を織田軍は用意し、戦国最強と恐れられた武田の騎馬隊を壊滅させた戦いです。

光秀が参じていないので詳しく描かれないと思っていましたが、麒麟がくるは「鉄砲」がキーワードの一つであると思っていたので、完全スルーは意外に思いました。

麒麟がくる1話では鉄砲を得る為に旅に出て、5話では鉄砲の構造を知る為に旅に出ています。

長篠の戦いで鉄砲の破壊力を描かないとなると、鉄砲に割いた尺の多さが勿体ないように感じます。

光秀は鉄砲の名手であるという逸話があるので、鉄砲を出したのでしょうか?

お岸が「荒木の義父」と発言する場面がありました。

光秀の長女は、荒木村重の嫡男・村次に嫁いでいましたが、ナレーションかテロップでもあると視聴者は分かりやすいと思いました。

麒麟がくるの後半は、歴史背景を知らないと面白く観れないかもしれないと感じています。

視聴率がジリジリ下がっているのは、こういった離脱者がいるのではないかと思います。

39話の後半は、光秀と煕子の絆を感じる展開になっていて、良い場面だったと思います。

縁側で語り合うシーン、お互いが大事に想っていることが伝わってきました。

逸話によると、光秀は愛妻家だと伝わっていますので、煕子を想う光秀の描写は必要なシーンだったと思います。

木村文乃さんの煕子、凄く好きでした。

良妻賢母、内助の功、健気さ、気丈さ、逸話などで伝わる煕子像を見事に表現してくてたと思います。

史実でも看病疲れによる病死と云われていますが、本能寺の変後に落城する坂本城と共に亡くなったとする異説もあります。

お岸やたま、幼い十五郎もいますし、志半ばでこの世を去ったと思いますが、光秀の最期を知らずに天国に行けたことは良かったと思いました。

また、光秀、煕子とも重病になったのに、何でも効果のあるという丸薬は役に立たないのねと思いました。

心安らぐ煕子を失った光秀に変化はあるのでしょうか。

参考・引用・出典一覧 煕子のお墓がある・坂本の西教寺
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