麒麟がくる28話あらすじ【ネタバレ】上洛を果たし本圀寺で襲撃に遭う

10月18日放送予定の麒麟がくる28話の詳しいネタバレ、あらすじを書いています。

無事に上洛を終えた足利義昭一行、織田信長らは降伏してきた諸将の処遇を巡り詮議します。

信長が京から離れると、義昭の仮御所・本圀寺が襲撃されますが、明智光秀らの活躍で守りきります。

本圀寺の守りの弱さを痛感した信長は、二条城築城に取る掛かる回です。

目次

上洛を果たした足利義昭一行

永禄11年(1568年)9月、織田信長(染谷将太さん)は、足利義昭(滝藤賢一さん)を奉じて上洛を果たします。

京を支配していた三好勢は、織田軍の勢いに敵わず、摂津や大和などに落ち延びて行きました。

時を同じくして、三好勢が擁立した14代将軍・足利義栄(一ノ瀬颯さん)が、摂津で病没した為、足利義昭が将軍に任ぜられるのは、確実な状況になったのです。

織田軍は京に留まらず、畿内から三好勢を駆逐する為、三好の拠点である摂津に向かい圧勝します。

こうして、三好の城の一つであった芥川城(芥川山城)に、信長と義昭は入城しました。

明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)は将軍の奉公衆になっていて、芥川城にて松永久秀(吉田鋼太郎さん)を出迎えます。

松永久秀は三好長慶(山路和弘さん)の重臣でしたが、長慶亡き後、三好家家中で内戦が起き三好三人衆らと対立していました。

そのような中、信長上洛の為、織田勢と三好勢の間で戦が起き、松永久秀は迷わず信長に味方しました。

それは、久秀が信長の力量を認めていた為で、大和で三好勢と戦っていたのです。

松永久秀は、戦勝祝いを持参しており、信長に謁見したいと芥川城を訪ねて来たのです。

ですが、信長は三好勢に味方した者たちの扱いをどうするか吟味中の最中です。

三好勢の一味であった松永久秀は、自身も詮議の対象になっているのではないかと心配します。

光秀は議論の内容については話せないとしながらも、大和での久秀の働きを信長は知っていると、その場限りの慰めを言うと議論の場に戻って行きます。

松永久秀の処遇について議論する

光秀が戻ると大広間では、足利義昭を主座に据えて、詮議が開かれています。

義昭の他に、信長や織田家家臣の柴田勝家(安藤政信さん)、佐久間信盛(金子ノブアキさん)、丹羽秀長、村井貞勝、義昭の側近の三淵藤英(谷原章介さん)、細川藤孝(眞島秀和さん)、和田惟政、一色藤長(上杉柊平さん)が参加しています。

皆が頭を悩ませているのは、松永久秀の処遇です。

柴田勝家は、織田勢に最後まで抵抗した池田城主・池田勝正、伊丹城主・伊丹親興(いたみちかおき)は許されるのに、今も三好勢と戦っている松永久秀が許されないのはおかしいと意見します。

池田勝正、伊丹親興は三好の家臣でしたが、上洛戦で織田勢に攻められ降伏していたのです。

すると三淵藤英は、13代将軍で足利義昭の兄でもある足利義輝(向井理さん)を、滅ぼした三好勢の背後にいたとされる松永久秀を受け入れて良いものかと疑問を呈します。

意見はまとまらず、話し合いは続いていくのでした。

織田信長を父や兄のように思う義昭

一同が議論に疲れた頃、足利義昭は上洛を果たせたことと、三好の拠点・芥川城を陥落できたことは、信長のお蔭だと話出します。

諸大名らが上洛に二の足を踏む中、信長は名乗りを上げ、共に上洛してくれました。

足利義昭は、信長の尽力を生涯忘れないと誓ってい、信長を兄や父のように思い、感謝していると打ち明けます。

その信長が松永久秀を受け入れようとしているのです。

足利義昭自身も松永久秀に思うところがあるようで、足利義輝の側近であった三淵達の気持ちも分かると言います。

池田勝正、伊丹親興も許し、これから協力して幕府を再興させていこうとしているところなので、松永久秀も受け入れたらどうだろうかと義昭は三淵に話します。

幕府の政所の頭人は摂津晴門

三淵は義昭の提案を受け入れ、義昭は幕府の政所の頭人(長官)に摂津晴門(片岡鶴太郎さん)を任じたいと願い出ます。

摂津氏は代々幕臣で、足利義輝の政所の頭人(長官)も摂津晴門が務めていました。

信長は義昭の申し出を承諾し、光秀はそのやり取りを鋭い目で見ていました。

勝龍寺城の城主となった藤孝は、摂津晴門が政所の頭人として幕府の実務を担うことを快く思っていませんでした。

勝龍寺城

勝龍寺城

摂津晴門は、足利義輝が将軍だった頃と殆ど同じ役人で、幕府内を動かそうとしていましたが、そのメンバーで義輝を守れなかった為です。

明智光秀は細川藤孝と同意見であり、幕府の中を一度洗い直すべきと主張します。

しかし、三淵藤英、一色藤長共は、幕府内改革に取り掛かる気はなく、細川藤孝は懸念材料を抱えることになります。

そんな藤孝は、光秀が幕臣に加わったことを頼もしく思っていました。

九十九茄子を献上する松永久秀

松永久秀は、織田信長に降伏の印として九十九茄子(つくもなす)の茶入れを献上します。

織田信長に許されたことで上機嫌な松永久秀と光秀は、廊下で出くわします。

松永久秀は、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)が三好勢や六角承禎らと組んで、信長を駆逐しようとしているとの情報を、乱波(らっぱ)から得ていました。

朝倉氏や六角氏は、昔からの大名であり、低い身分から成り上がった信長に従う気はありませんでした。

上洛に力を貸して欲しいと信長が依頼したのに関わらず、朝倉氏は応じておらず、反信長勢力と結んだ証拠であると言います。

松永久秀は、信長にも伝えておいたと話すと、足早に去って行きます。

光秀が越前にいた頃、松永久秀と朝倉義景は、文のやり取りをしていまた。

そう思い出した光秀は、複雑な気持ちになるのです。

本圀寺の変が起きる

その後、足利義昭の将軍就任を見届けた信長は、家臣の一部を京に残すと、急いで美濃の岐阜城に戻って行きました。

岐阜城(稲葉山城)

岐阜城(稲葉山城)

しかし、三ヶ月も経たない内に、義昭が仮の御所としていた本圀寺が、三好勢に襲撃されました。

織田勢が手薄になったところを狙われたのです。

タイミング悪く、細川藤孝も摂津に居た為に不在であり、明智光秀は細川藤賢らと共に、義昭を守る為に三好勢と戦います。

 

本圀寺の門

本圀寺の門

本國寺の守りは固く、三好勢はなかなか寺に侵入できず、夕暮れになると三好勢は攻撃の手を止め、翌日の戦に備えようとします。

すると、摂津から織田勢が大軍を率いて向かっているとの情報が入り、形成不利とみた三好勢は退却を始めました。

戦が終わると望月東庵(堺正章さん)と駒(門脇麦さん)は、負傷者の手当をする為に本圀寺に向かい、光秀と再会をします。

覚慶だった頃の義昭と駒も面識があり、久しぶりの再会に義昭と駒は見つめ合います。

義昭に目通りを望む太夫

翌日、望月東庵の自宅に伊呂波太夫(尾野真千子さん)が訪ねて来て、駒が義昭に目をかけられていると知った太夫は、義昭に目通りできないかと打診します。

伊呂波太夫は、弟のように思っている近衛前久(本郷奏多さん)の窮地を救いたいと思っていました。

近衛前久は、前将軍・足利義栄や三好勢の味方と思われ、命を狙う者までいたので隠れて暮らしている状態です。

近衛前久は足利義栄が将軍に就くよう取り計らったものの、三好一族に脅されてやむを得ず行ったことでした。

伊呂波太夫は、近衛前久は巻き込まれただけであると言い、義昭に許しを願いたいと考えたのです。

その話を聞いた望月東庵は、義昭の近習になった明智光秀を頼ってみたらどうかと提案します。

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摂津晴門を糾弾する信長

その頃、細川藤孝は本圀寺の襲撃があった前夜、三好の大軍が京に入ったのに、幕府側の人間が誰も気がつかなかったことを疑問視していました。

その上、美濃にいた信長に、急報の使者を走らせたのも遅く、藤孝らが摂津から駆けつけなければ、危ういとことだったのです。

明智光秀は、幕府の役人で三好の者と通じて、寺社や公家の土地を押収して利益を得ていた人物がいると暴露します。

幕府の中には、三好勢に京戻って来て欲しいと願う人物がいると考えられます。

織田信長が京に駆け付けたのは、本圀寺で戦があってから、五日後のことでした。

織田信長は、本圀寺襲撃の知らせが遅かったこと、幕府が信長を頼りにしてない点について、摂津晴門を咎めます。

本圀寺の件で信長は、摂津晴門らだけでは義昭を守れず、本圀寺が御所のままでは義昭の身が危険であると考えていました。

その為、信長は信頼できる者を自身の代理とし、義昭の御所として新たに城を築く方針を決めます。

築城期間は二ヶ月という信長に対し、摂津晴門は二ヶ月では築けないと反論します。

すると信長は、幕府の命令で近隣諸国の大工や建築材料を集め、摂津晴門ら幕府の役人も汗水たらして築城の手伝いをするよう命じました。

足利義昭|織田信長に擁されて上洛したのに追放された貧乏公方の生涯

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『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』は菅首相の愛読書として知られています

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