麒麟がくる29話あらすじ、感想 摂津晴門と腐敗した幕府

麒麟がくる29話のあらすじ、感想を書いています。

足利義昭の御所である二条城を自ら陣頭指揮を執り築城工事をする信長。

幕府は、摂津晴門など一部の役人による腐敗した政治が蔓延していいて、光秀は立て直そうと決心します。

目次

摂津晴門 社寺と結託する

永禄12年(1569年)、将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)の御所にする二条城の築城が進められていました。

織田信長(染谷将太さん)は、築城に必要な人や建材を近隣諸国から集め、寺社や京の屋敷からも庭石や調度品を出させています。

工事の陣頭指揮を執るのは信長自身で、東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)(銀閣寺のこと)の庭石や、近隣の社寺から漆器、屏風、壺などを集めました。

銀閣寺(東山慈照寺)

東山慈照寺

そんな信長に対し、一部の幕臣は、将軍の名を借りて高価そうな物を強奪していると言っているそうです。

信長の陰口を聞いた明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)は、今まで将軍を守る城を築かなかった幕臣が批判するのは、もってのほかであると怒りを露にします。

幕臣の中には、寺社が経営する金貸し業と手を組み、利益をむさぼる人物もいて、幕府の腐敗ぶりに憤怒の念に駆られていたのです。

そんな折、信長に庭石や屏風を持っていかれた寺の僧正は、取り戻す為に金を持参して、義昭に目通りしています。

政所の頭人・摂津晴門(片岡鶴太郎さん)は、このままでは洛中の寺社は信長や義昭を恨むことになると警告します。

足利義昭は、恩人の信長が寺社から集めているのは、自分を守る為であるからと、曖昧な態度をとります。

ですが、摂津晴門や僧正らの無言の圧力を感じた義昭は、信長が岐阜城に帰ったら、分からないように返すことは不可能ではないと言ってしまいます。

義昭の返事に摂津晴門、僧正は納得し、後は摂津に任せて義昭は去りました。

摂津晴門は僧正の持参した金を手に取り、摂津と結託する僧正(緒方賢一さん)は笑みを浮かべます。

「悲田院」のような館

足利義昭は駒(門脇麦さん)の元へ向かい、貧しい者を助ける施設について話ます。

駒に見せた施設の見取り図は、食べ物を与えたり休める館があり、池や花も植えられていました。

義昭は聖徳太子が建てたとの伝承がある、貧しい人や孤児を救う「悲田院」のような施設を思い描いていました。

現在の悲田院

現在の悲田院

義昭は僧侶として一乗院に居た頃も、身分によって分け隔てなく、困窮する者を受け入れる館を造りたいと願っていました。

しかし、一乗院のある大和は、戦ばかりで実現できずにいたのです。

将軍になった今なら、命じれば土地は手に入るだろうと義昭は考えます。

しかし、幕府は財政にゆとりが無く、館を建設したり、医者などを在中させるお金がないのだと悲しみます。

駒は、先ずは「悲田院」のような館を一つ造ることから、始めたら良いのではと提案します。

館を造るだけでも最低1000貫は必要だと義昭が言うと、駒は決意した様子で望月東庵(堺正章さん)の診療所に向かいます。

診療所には、駒が丸薬で稼いだお金があり、駒が診療所に到着すると、丁度、望月東庵がスゴロクをする為に、持ち出そうとしていました。

望月東庵を戒めた駒は、200貫貯まっていることを確認し、残りの800貫を用意したいと考えます。

駒は、堺の豪商である今井宗久(陣内孝則さん)から受けた助言について、望月東庵に話します。

駒の仕事の場所を移転し広げ、職人を集めて今の5倍の丸薬を作れたら、もっと商売がしやすいのではないかと言われていたのです。

駒は1000貫を用意したいという決意を望月東庵に伝え、東庵を驚かせます。

摂津晴門こそが幕府の正体

その頃、明智光秀は、京にある神社の境内にいました。

前関白・近衛前久(本郷奏多さん)と光秀を対面させようと、伊呂波太夫(尾野真千子さん)が呼び出した為です。

義昭の前に将軍に就いていた足利義栄(一ノ瀬颯さん)を将軍に押した近衛前久は、三好勢と繋がっていると疑われ所在が分からなくなっていました。

その後、人しれず京に戻り、伊呂波太夫の一座の芸人に混ざって光秀を待っていたのです。

近衛前久は、三好勢と組んで足利義輝襲撃に関与したとして、摂津晴門達から追われていると話し出します。

そのような噂を流したのは、公家の二条晴良(小藪千豊さん)、近衛家をライバル視している人物です。

近衛家を宿敵として嫌う二条晴良は、義昭が将軍に就任すると、摂津晴門など幕府を味方につけ、近衛家没落を画策しています。

近衛家の領土を奪い、摂津晴門らと分け合おうと企んでいたのです。

近衛前久は、越後の上杉輝虎(謙信)と行動を共にしたことがあり、その時に、今の幕府は私利私欲を満たすことばかり考え、天下の為に働こうとする者がいないから、世が乱れていると話していたと言います。

近衛前久が期待を寄せているのは、織田信長であり、信長なら幕府を変えられるのではないかと希望を見出していました。

近衛前久は義昭の傍にいて、信長にも意見が言えるのは、明智光秀しかいないと伊呂波太夫から聞いていました。

その上、摂津晴門を嫌っているとの噂も耳にしていた為、話がしたかったのだと言います。

光秀に話を終え去ろうとする近衛前久は、太夫にまだ話があるのではないかと引き留められますが、命乞いまではしたくないと言い去って行きました。

伊呂波太夫は明智光秀に、京では公家だけでなく、天皇ですら貧窮している状況であることを近衛前久は伝えたかったのだろうと言います。

正親町天皇は所領を奪われ、曾祖父・後土御門天皇が崩御した時は、財源枯渇により弔う費用が無く、二ヶ月もの間、御所に亡骸が置かれていたのです。

幕府は朝廷を援助すべきでしたが、黙認したと言います。

藤吉郎に不満を感じる光秀

翌日、光秀は信長に会う為、京の妙覚寺を訪ねます。

妙覚寺(織田信長が上洛した際の宿所)

妙覚寺(織田信長が上洛した際の宿所の一つ)

すると木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)がいて、昨日、光秀と近衛前久が会っていたことを知ってる様子です。

藤吉郎は京の奉行になる予定であり、統治の為に公家の動きを掴もうとしていました。

特に、公家衆の筆頭である近衛前久がどのような人物かどうか、見極めようとしていたのです。

また、将軍の側近が信長に背かないか見張る役目も奉行である藤吉郎が担っていたので、光秀は自分も調べられていたのかと疑います。

光秀の勘繰りを否定した藤吉郎は、公家衆に気を付けるよう忠告します。

公家衆は、寺や大名と繋がっている可能性があり、気を緩めると足をすくわれるかもしれないからです。

光秀は藤吉郎の配下の者に後をつけられていると感じた為、気分を害し信長に会うなり藤吉郎の文句を言います。

しかし、信長は命じた事を真面目にこなす藤吉郎を信頼しているようです。

光秀 幕府改革を任される

また、織田信長の元には、幕府の不道徳を非難し、改革を求める声が届いていました。

光秀も信長の助力を求めますが、信長は幕府の問題は、幕府の側近が解決すべきとして、光秀に任せます。

越前の朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)の所に三好勢が出入りし、信長が留守にする美濃を攻めるとの情報が入った為、信長は美濃へ帰らなければなりませんでした。

信長は京を離れられるよう、光秀、柴田勝家(権六)(安藤政信さん)、藤吉郎らを京の奉行にするよう幕府の許可を取り付けていました。

 

信長は、亡き父・信秀(高橋克典さん)から、この世で一番偉いのは太陽で、次は天皇、その次は天皇を守る将軍だと聞かされていました。

そして、織田信秀は、将軍が天皇を守ることを忘れているから、自分が守ると言い、御所の塀の修理ができるよう4000貫もの大金を天皇に送ったのです。

上洛したのに塀を見れていない信長は、塀の様子が気になっていていると光秀に打ち明けると去って行きました。

光秀は、伊呂波太夫から聞いた天皇ですら困窮しているという話を思い出していました。

光秀 摂津晴門を糾弾する

数日後、光秀が東寺八幡宮領の一部を奪ったので返せという申し文が、細川藤孝(眞島秀和さん)の元へ届きました。

それは、家族を呼び寄せる為に、光秀が義昭から拝領した土地でした。

状況を理解した光秀は、憤慨しながら摂津晴門の元へ向かいます。

光秀は義昭から上洛のお礼として授かった土地が、横領した物であるとは義昭ですら知らなかったと言い、段取りをしたのは政所ではないかと頭人である摂津晴門に問います。

誰が横領し、どのように政所の土地になったのか知りたいと光秀が言うと、山城国は広く存じていないと摂津晴門は返答します。

摂津晴門は、このような訴えは沢山あると言い、のらりくらりとしますが、光秀はそのようにして「天皇の丹波の領地を仲間の武家」に与えたのか糾弾します。

摂津晴門は、そんなに言うのであれば、八幡宮領を返すよう光秀に言いますが、光秀は返して終わる事ではないと言います。

見逃せない事態だと思った光秀は、誰が横領したのか処断すると言い、摂津晴門に詮議した上での報告を求めます。

摂津晴門は、了承しますが長~い詮議になると言い、光秀はその場を立ち去りました。

八幡宮領の一件で、摂津晴門は光秀を鬱陶しく思ったようで、「困ったお方じゃ」と吐き捨てるように言うと文を破りました。

太夫と方仁親王(正親町天皇)の出会い

伊呂波太夫の元を訪ねた光秀は、天皇が住む御所に案内してもらいます。

大分直したという御所ですが、塀が大きく崩れていて、誰でも侵入できる状態です。

その崩れようは、幕府が京を腐った物にしているという現状を表すかのようです。

御所は門番の役人だけでは足りず、公家衆が交代で見守っていると言いますが、子供が入って御殿に石を投げつける始末だそうです。

伊呂波太夫は、崩れた塀から中に入り、光秀は戸惑いながらもついて行きます。

近衛家に拾われた経験のある伊呂波太夫は、子供の頃、近衛家に尼寺に入れられると聞かされ、その直後にここの御所に連れて来られたと言います。

そのことが悲しくて寒い中泣いていると、蹴鞠の稽古をしていた若い公家が慰めてくれた思い出があるそうです。

その時に貰った温石(カイロのように暖をとる用具)を今も大事にしていると言い、後になって、その公家は方仁(みちひと)親王であると知ったと言います。

方仁親王は、今の天皇(正親町天皇)であり、伊呂波太夫は御所を直したいという思いに駆られるようです。

 

同年4月、2ヶ月余りで御所となる二条城が完成しました。

足利義昭は、信長にお礼を言い「都を蘇らせた大恩人」と称え、義昭に促された摂津晴門らも頭を下げてお礼を伝えます。

義昭らが二条城の中を見ている間、二条城普請の為、近江から大工や職人を手配してくれた浅井長政(金井浩人さん)を、明智光秀、細川藤孝に引き合わせます。

長政は信長の妹・お市の方(井本彩花さん)と政略結婚をした相手です。

そして信長は光秀を呼び止め、朝倉義景について話を聞きたいから美濃へ来て欲しいと要請します。

その後、信長は戦支度の為、岐阜城に戻っていきました。

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麒麟がくる29話の感想

二条城の築城にあたり、寺や屋敷から調度品を集める織田信長。

麒麟がくる29話では、摂津晴門により僧侶が義昭に直談判をする機会を設けられ、義昭が摂津に翻弄される展開がありました。

28話で義昭は、岐阜城に帰らず京にいて欲しいと信長に言っていたにも関わらず、摂津らに信長はいずれ岐阜に戻ると言ってしまいます。

摂津らの醸し出す雰囲気に押されて、その場しのぎの返答をしてしまったのです。

麒麟がくるで、聖人のように描かれる義昭が、やがて信長と対立し、挙兵するとは想像できませんが、摂津晴門に翻弄され、対立していくのかなと思いました。

僧正役は、「名探偵コナンの阿笠博士」、「宇宙戦艦ヤマトのアナライザー」などの役を務める声優・緒方賢一さんとのことです。

声優の方が俳優として登場するのは新鮮味があるように感じました。

その後も、片岡鶴太郎さん演じる摂津晴門は、光秀とも領土問題でやり合い、憎らしさを演出しました。

摂津晴門は、謎が多く没年なども不明の為、どうにでも描ける人物だと思います。

信長包囲網や本能寺の変と絡ませることもできますし。

ドラマには摂津のように癖のある人物も必要かと思いますが、子孫やゆかりの方がいらっしゃたとしたら、複雑な気持ちだろうなと思いました。

史実上の摂津は、足利義輝の家臣であった一人息子を永禄の変にて亡くし、失意の中であったと思われます。

義輝に殉じた嫡男を持つ摂津が伏魔殿のボス…、実際は違うと思いますが、幕府の内情をしっかり描く為に、癖のある人物を登場させたのだと思います。

信長や秀吉といった織田家の人間から見た室町幕府ではなく、幕府と織田家の間に立つ(後に両方に仕える)光秀から見た室町幕府を描く為の人物だと解釈しています。

摂津晴門を通して室町幕府の悪い面を描き、信長が室町幕府を滅亡させる経緯を自然に見せる役目もあるのかなと思いました。

 

29話で浅井長政が登場しましたが、予告によると早速、裏切る(金ヶ崎の退き口)ようですね。

浅井長政が挨拶したかと思えば裏切り…、重要な人物だと思うので、もう少し描いてもらいたかったなというのが感想です。

また、30話でようやく帰蝶が登場しそうですね。

予告に少し映っただけでも、華やかさがあり、美しさと存在感を感じ、楽しみになりました。

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