麒麟がくる28話のネタバレ、感想を書いています。
無事に上洛を終えた足利義昭一行、織田信長らは降伏してきた諸将の処遇を巡り詮議します。
やがて信長が京から離れると、義昭の仮御所・本圀寺が襲撃されますが、細川藤孝らが救援にやってきて、明智光秀らが守りきります。
本圀寺の守りの弱さを痛感した信長は、二条城御所を築城します。
上洛を果たした足利義昭一行
永禄11年(1568年)9月、織田信長(染谷将太さん)は、足利義昭(滝藤賢一さん)を奉じて上洛を果たします。
京を支配していた三好勢は、織田軍の勢いに敵わず、摂津や大和などに落ち延びて行きました。
時を同じくして、三好勢が擁立した14代将軍・足利義栄(一ノ瀬颯さん)が、摂津で病没した為、足利義昭が将軍に任ぜられるのは、確実な状況になったのです。
織田軍は京に留まらず、畿内から三好勢を駆逐する為、三好の拠点である摂津に向かい圧勝します。
こうして、三好の城の一つであった摂津の芥川城(芥川山城)に義昭と信長は入城し、実力者と認められた義昭や信長の元に、武将らが献上品を持参し参上していました。
働きを認められた明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)は、将軍の奉公衆になっていました。
光秀は将軍の奉公衆として、芥川城にて松永久秀(吉田鋼太郎さん)を出迎えます。
松永久秀は三好長慶(山路和弘さん)の重臣でしたが、長慶亡き後、三好家家中で内戦が起き三好三人衆らと対立していました。
そのような中、信長上洛の為、織田勢と三好勢の間で戦が起き、松永久秀は迷わず信長に味方しました。
それは、久秀が信長の力量を認めていた為で、大和で三好勢と戦っていたのです。
松永久秀は、戦勝祝いを持参しており、信長に謁見したいと芥川城を訪ねて来たのです。
ですが、織田信長は、三好勢に味方した者たちの扱いをどうするか吟味の最中です。
三好勢の一味であった松永久秀は、自身も詮議の対象になっているのではないかと心配します。
光秀は議論の内容については話せないとしながらも、大和での久秀の働きを信長は知っていると、その場限りの慰めを言うと議論の場に戻って行きます。
松永久秀の処遇について議論する
光秀が戻ると大広間では、足利義昭を主座に据えて、詮議が開かれています。
義昭の他に、信長や織田家家臣の柴田勝家(安藤政信さん)、佐久間信盛(金子ノブアキさん)、丹羽秀長、村井貞勝(廣田高志さん)、義昭の側近の三淵藤英(谷原章介さん)、和田惟政、一色藤長(上杉柊平さん)が参加しています。
皆が頭を悩ませているのは、松永久秀の処遇です。
織田家の家臣・柴田勝家は、織田勢に最後まで抵抗した池田城主・池田勝正、伊丹城主・伊丹親興(いたみちかおき)は許されるのに、今も三好勢と戦っている松永久秀が許されないのはおかしいと意見します。
池田勝正、伊丹親興は三好の家臣でしたが、上洛戦で織田勢に攻められ降伏していたのです。
すると幕府奉公衆・三淵藤英は、13代将軍で足利義昭の兄でもある足利義輝(向井理さん)を、滅ぼした三好勢の背後にいたとされる松永久秀を受け入れて良いものかと疑問を呈します。
織田家家臣と幕臣とで意見はまとまらず、話し合いは、いつまでも続いていくのです。
織田信長を父や兄のように思う義昭
一同が議論に疲れた頃、足利義昭は上洛を果たせたことと、三好の拠点・芥川城を落とせたことは、信長のお蔭だと話し出します。
諸大名らが上洛に二の足を踏む中、信長は名乗りを上げ、共に上洛してくれました。
足利義昭は、信長の尽力を生涯忘れないと誓い、信長を兄や父のように思い、感謝していると打ち明けます。
その信長が、松永久秀を受け入れようとしているのです。
足利義昭自身も松永久秀に思うところがあり、足利義輝の側近であった三淵達の気持ちも分かるようです。
しかし、これから協力して幕府を再興させていこうとしているところなので、松永久秀も受け入れたらどうだろうかと義昭は三淵に諭した為、三淵も受け入れます。
幕府の政所の頭人は摂津晴門
その代わり、足利義昭は幕府の政所の頭人(長官)に摂津晴門(片岡鶴太郎さん)を任じたいと願い出ます。
摂津氏は代々幕臣で、足利義輝の政所の頭人(長官)も摂津晴門が務めていました。
信長は義昭の申し出を承諾し、光秀はそのやり取りを鋭い目で見ていました。
山城・勝龍寺城主となった細川藤孝(眞島秀和さん)は、摂津晴門が政所の頭人として幕府の実務を担うことを快く思っていませんでした。
摂津晴門は、足利義輝が将軍だった頃と殆ど同じ役人で、幕府内を動かそうとしていましたが、そのメンバーで義輝を守れなかった為です。
明智光秀は細川藤孝と同意見であり、幕府の中を一度洗い直すべきと主張します。
しかし、三淵藤英、一色藤長共は、幕府内改革に取り掛かる気はなく、細川藤孝は懸念材料を抱えることになります。
そんな藤孝は、光秀が幕臣に加わったことを頼もしく思っていました。
九十九茄子を献上する松永久秀
松永久秀は、織田信長に忠義の印として、九十九(髪)茄子(つくもなす)の茶入れを献上します。
織田信長に無事献上出来たことで上機嫌な松永久秀は、光秀と廊下で出くわします。
松永久秀は、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)が三好勢や六角承禎らと組んで、信長を駆逐しようとしているとの情報を、乱波(らっぱ)から得ており、信長にも伝えていました。
朝倉氏や六角氏は、昔からの大名であり、低い身分から成り上がった信長に従う気など無かったのです。
そして松永久秀は、これから三好勢と手を組む筒井順慶(駿河太郎さん)と戦があると言うと、足早に去って行きます。
光秀が越前にいた頃、松永久秀と朝倉義景は、文のやり取りをしていまた。
そう思い出した光秀は、複雑な気持ちになるのです。
本圀寺の変が起きる
同年9月、足利義昭は正式に将軍に任じられます。
足利義昭の将軍就任を見届けた信長は、家臣の一部を京に残すと、急いで岐阜城に戻って行きました。
しかし、三ヶ月も経たない内に、義昭が仮の御所としていた本圀寺が、三好勢に襲撃されました。
織田勢が手薄になったところを狙われたのです。
タイミング悪く、細川藤孝も勝龍寺城に戻った為に不在であり、明智光秀は細川藤賢(島英臣さん)らと共に、義昭を守ります。
光秀は義昭を穴蔵に案内し、騒ぎが治まるのを待ちます。
義昭は怯えながら、穏やかな京にしたいとの願いを言い、光秀は美しい都に戻すという決意を述べます。
本國寺の守りは固く、三好勢はなかなか寺に侵入できず苦戦していると、畿内から足利勢が大軍を率いて向かっているとの情報が入ります。
二日間攻防し、形成不利とみた三好勢は退却を始めました。
戦が終わると望月東庵(堺正章さん)と駒(門脇麦さん)は、負傷者の手当をする為に本圀寺に向かい、光秀と再会をします。
覚慶だった頃の義昭と駒は面識があり、久しぶりの再会に義昭と駒は見つめ合います。
義昭に目通りを望む太夫
翌日、望月東庵の自宅に伊呂波太夫(尾野真千子さん)が訪ねて来て、駒が義昭に目をかけられていると知った太夫は、義昭に目通りできないかと打診します。
伊呂波太夫は、弟のように思っている近衛前久(本郷奏多さん)の窮地を救いたいと思っていました。
近衛前久は、前将軍・足利義栄や三好勢の味方と思われ、命を狙う者までいたので隠れて暮らしている状態です。
近衛前久は足利義栄が将軍に就くよう取り計らったものの、三好一族に脅されてやむを得ず行ったことで、巻き込まれただけである為、義昭に許しを願いたいと考えたのです。
その話を聞いた望月東庵は、義昭の近習になった明智光秀を頼ってみたらどうかと提案します。
摂津晴門を糾弾する信長
その頃、細川藤孝は本圀寺の襲撃があった前夜、三好の大軍が京に入ったのに、幕府側の人間が誰も気がつかなかったことを疑問視していました。
その上、岐阜城にいた信長に、急報の使者を走らせたのも遅く、藤孝らが畿内から駆けつけなければ、危ういとことだったのです。
明智光秀は、幕府の役人で寺社や公家の土地を押収して、利益を得ていた人物がいると藤孝に暴露します。
幕府の中には、三好の者と通じている者がいて、三好勢に京戻って来て欲しいと願う人物がいると考えられます。
織田信長が京に駆け付けたのは、本圀寺で戦があってから、数日後のことでした。
織田信長は、本圀寺襲撃の知らせが遅かったこと、幕府が信長を頼りにしてない点について、摂津晴門を咎めます。
本圀寺襲撃により、信長は摂津晴門らだけでは義昭を守れず、本圀寺が御所のままでは、義昭の身が危険であることが分かったと言います。
その為、信長は信頼できる者を自身の代理とし、義昭の御所として新たに城を京に築く方針を決めます。
築城期間は二ヶ月という信長に対し、摂津晴門は二ヶ月では築けないと反論します。
すると信長は、幕府の命令で近隣諸国の大工や建築材料を集め、摂津晴門ら幕府の役人も汗水たらして築城の手伝いをするよう命じました。
二条御所の築城
こうして、御所となる二条城の築城が始まりました。
幕府や信長の呼びかけに応じた大工や鍛冶職人と共に、光秀も二条城普請場にて汗を流します。
光秀は石仏があることに気が付き、割られ石垣として利用すると知ると神妙な表情をします。
そこに織田信長がやって来て、14の国が築城に力を貸してくれたと満足気です。
信長は大きな世をつくる為には、将軍の権威は欠かせないと再認識します。
そして、義昭が摂津晴門に操られないように、義昭を守るよう光秀に要請します。
そう話していると、信長は足元に石仏があることに気が付きます。
信長は石仏を敬う様子はなく、子供の頃のことを思い出しながら、石仏をペチペチと叩きます。
信長が石仏を蔑ろにする姿を見た光秀は、複雑な思いがある表情です。
信長は、松永久秀から朝倉義景のこと聞いたであろうと切り出し、三好勢と組まれると挟み撃ちにされる為、朝倉征伐を決行する考えを光秀に伝えます。
そこへ足利義昭がやって来て、信長に築城のお礼を伝え、岐阜城へ戻って欲しくないと手を握り、蜜月な様子です。
その頃、摂津晴門は、成り上がり者の信長に恥をかかされたとして憤ります。
朝倉、三好勢が信長に対抗する動きに注目し、信長に仕返ししたいと画策するのでした。
足利義昭|織田信長に擁されて上洛したのに追放された貧乏公方の生涯
麒麟がくる28話の感想
麒麟がくる28話では、足利義昭が織田信長を慕い、感謝しているのかが印象的に思いました。
信長の意思を尊重して松永久秀を受け入れたり、信長を見つけてキラキラした目で近づいたり、この蜜月関係からどように変化するのか楽しみです。
元僧侶で信心深い義昭の御所に、砕いた石仏を石垣として使うとのことですが、そのことに義昭が気が付いたら悲しい気持ちになりそうですね。
最後の方で、首だけになった石仏の姿が映っていましたが、信長と義昭が水と油の関係であると暗示しているようにも思えました。
また、足利義昭の願う「穏やかな京」は、光秀が目指す「麒麟がくる」世の中と同義でしょうか。
そうすると、本能寺の変の動機は、足利義昭を再度擁立する為!?…、予想外の展開ですが、どうなるのかなと興味深く思います。
無事、信長に謁見し「九十九(髪)茄子」を献上した久秀、御馴染みのシーンですが、久秀と言えば茶器というイメージがあり、描かれて嬉しく思いました。
久秀の散り際に茶器は登場するのか、気になるところです。
染谷信長が段々魔王らしくなってきたと思います。
摂津晴門を叱責する場面、無理難題を平然と命じる所、仏の罰も恐れない信長らしい貫禄や迫力を感じました。
石仏の件は、後に起きる比叡山延暦寺の焼き討ちを暗示しているのかなとも思います。
比叡山の焼き討ちは、光秀は反対であったと云われていましたが、近年では積極的に行っていたことが分かってきています。
麒麟がくるでは、どの様に描かれるのでしょうか。
光秀が信長に違和感を感じ、本能寺の変までに少しづつ積み重なっていくのかもしれません。
しかし、史実の光秀は、福知山城の石垣に石仏を使用しています。
石仏を使った理由は、領民の安寧を願った為と云われており、仏を恐れないからではありませんが。
片岡鶴太郎さんは、個性の強い役ですね。
狂気に満ちている摂津晴門ですが、史実上では悪人だったというわけではないようで、物語上、悪人が居た方が面白いという意味でしょうか。
どのように、信長や光秀を追い詰めるのか楽しみです。
石仏を石垣として使った福知山城や丹波の記事です☟。
明智光秀が丹波国の福知山で慕われる理由
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