滋賀県大津市の聖衆来迎寺は、明智光秀の坂本城の城門など重要文化財や寺宝が多数あり見応えがあります。

また、織田信長の家臣である森可成の墓所、明智光秀生存説で囁かれる天海を祀った開山堂まであります。

聖衆来迎寺の拝観時間を含め記載しています。

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大津市の聖衆来迎寺

滋賀県大津市にある聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)に行ってきました。

聖衆来迎寺は、織田信長の焼き討ちで有名な比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を総本山とする天台宗のお寺です。

聖衆来迎寺がどんなお寺か入り口に説明があり、下の写真がその説明です。

聖衆来迎寺の説明
この説明によると、延暦9年(790年)に最澄(さいちょう)(伝教大師)が、地蔵教院と称するお寺を建てたのが、聖衆来迎寺の始まりだと云います。

その後、長保3年(1001年)に、源信(恵心僧都)により再興され、現在の寺号になったそうです。

長い歴史のある聖衆来迎寺には、古い建物が残り、貴重な物が多数残っており見応えがあります。

また、聖衆来迎寺の表門、本堂、客殿、開山堂は全て重要文化財に指定されていますので、写真と共に紹介させていただきます。

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明智光秀の坂本城城門を使用した表門

まずこちらが聖衆来迎寺の入り口に続く道です。

聖衆来迎寺は、県道588号線沿いに大きめの駐車場を完備していまして、駐車場から降りた目の前が入り口になっています。

 

滋賀県大津市の聖衆来迎寺の入り口

進むと聖衆来迎寺の入口に表門があり、明智光秀の居城であった坂本城城門が移築された物だと云われ、重要文化財に指定されています。

坂本城は戦国時代に廃城となっており、坂本城の様子を伝える遺構も殆ど残っていません。

聖衆来迎寺の表門は、明智光秀の時代からあった門であり、坂本城を現代に伝える非常に貴重なものとなります。

 

聖衆来迎寺の表門

聖衆来迎寺の本堂

聖衆来迎寺の本堂

現在の本堂は江戸時代前期である寛文5年(1665年)に建築されたもので、重要文化財に指定されています。

端正で美しい姿で建っているのが印象的です。

聖衆来迎寺近郊は、織田信長の比叡山の焼討ちが行われた場所ですが、聖衆来迎寺は焼き討ちから逃れています。

そのため多数の寺宝が伝来しており、重要文化財に指定されている鎌倉時代に作られた釈迦如来像も安置されています。

また、毎年8月16日に開催されている「虫干会」では、多数の寺宝を見ることができ国宝もあるそうです。

事前に予約すれば、8月16日以外でも拝観することができますが、普段は博物館などに展示してある物もあり、「虫干会」以外では全部揃うのは難しいようです。

もしタイミングが合えば、「虫干会」の日に行きたいものですね。

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聖衆来迎寺の客殿

聖衆来迎寺の客殿

 

本堂の横には、重要文化財である客殿が建っています。

境内にある他の建物は瓦葺き(かわらぶき)の屋根ですが、客殿のみ杮葺(こけらぶき)という木材からつくられている屋根です。

写真からでも伝わるでしょうか、屋根が傷んでおり年期の入った感じがします。

聖衆来迎寺の客殿の説明

聖衆来迎寺の客殿の説明

客殿の創建は江戸時代初期で、寛永16年(1639年)であるとされています。

客殿にも寺宝があり、滋賀県指定名勝である日本庭園もあるそうです。

予約すれば拝観できるそうですので、ご興味ある方は問い合わせてみてくださいね。

 

聖衆来迎寺の開山堂

聖衆来迎寺の開山堂

 

客殿をさらに進んだ境内の奥には、開山堂という重要文化財に指定されている建物が建ちます。

客殿と同じ時に建てられたようで寛永16年(1639年)に建築されたものとされています。

聖衆来迎寺の開山堂の説明

聖衆来迎寺の開山堂の説明

 

上の写真は開山堂の説明になりますが、説明によると開山堂は、聖衆来迎寺を再興した源信と共に天海(てんかい)が祀られているそうです。

天海とは南光坊天海のことで、一説では天海とは明智光秀のことであるとする説があります。

明智光秀は山崎の戦いで亡くならずに、江戸時代も生き伸び天海となり、徳川家康の参謀になったとする異説です。

この説により、本能寺の変の黒幕は徳川家康だとする説もあります。

この真偽は不明ですが、上の写真の聖衆来迎寺・開山堂の説明板に修正テープのようなものが張られているのが見えるでしょうか。

調べてみたらそこには、徳川家康の名前が入るそうです。

開山堂は、源信、天海、徳川家康を祀っているそうですが、何故か徳川家康の名前が伏せられています。

理由はわかりませんでしたが、何か奇妙だなと思いました。

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森可成の聖衆来迎寺の墓所

 

信長の家臣・森可成(もりよしなり)の墓所
開山堂の左手にある墓所は森可成(もりよしなり)の墓所です。

森可成とは、本能寺の変で織田信長と運命を共にした、森蘭丸の父としても知られる人物です。

森可成は織田家譜代の家臣ではありませんが、信長の信頼厚い人物とされており、宇佐山城(うさやまじょう)の戦いにて戦死した時は、信長を深く悲しませたと云われています。

森可成

宇佐山城の戦いの森可成の肖像画

 

この肖像画は、宇佐山城の戦いの時の森可成とされており、担いでいるのは信長の弟・織田信治(おだ のぶはる)です。

森可成、織田信治は共に戦死してしまいますが、この戦いにより信長は背後を敵に突かれずに済み、二人は信長から賞賛されています。

聖衆来迎寺は比叡山と関係のある寺院ですので、信長とは敵対関係にありましたが、戦場の近くであった聖衆来迎寺の僧侶は、敵の大将・森可成の遺体を秘かに運んで手厚く葬ったと伝わります。

後に、比叡山延暦寺を焼き討ちにしたのは、宇佐山城の戦いに比叡山が協力したことも理由の一つとされ、焼き討ちは森可成らの弔い合戦でもあったそうです。

そして焼き討ちの際、比叡山麓の町まで焼かれたのに、聖衆来迎寺が焼き討ちを逃れたのは、森可成の墓所があったためと云われています。

個人的な所感ですが、織田信長は義理堅い一面があるように感じますので、聖衆来迎寺に手を出さなかったのは納得できます。

広いお寺ではありませんが、歴史の詰まったところだなと思います。

 

聖衆来迎寺の拝観時間・料金

拝観期間:9:00~15:00

※要予約

料金:350円

電話:077-578-0222

 

聖衆来迎寺のアクセス

住所:〒520-0104 大津市比叡辻2-4-17

JR「大津駅」からバス 20分 来迎寺鐘化前

JR「比叡山坂本駅」から 徒歩 15分

湖西道路下阪本ICから車で5分

駐車場:20 台(大型車 1 台)、無料

 

 

明智光秀と天海については、こちらの記事に書いています。

明智光秀は生きて天海という僧侶になったとする説を検証する

 

聖衆来迎寺は比叡山も近いですが、坂本城の跡地につくられた坂本城址公園が2kmほどという近さにあります。

こちらは、坂本城址公園に行った記事です。

琵琶湖に面した坂本城祉公園

 

かおりんかおりん

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