「明智光秀」の記事一覧(2 / 2ページ目)

明智光秀の肖像画~本徳寺の肖像画は明智光慶が描かせた!?~

明智光秀
明知光秀の肖像画の切り抜き

明智光秀唯一の肖像画は、大阪府岸和田市にある本徳寺(ほんとくじ)が所蔵しています。一説には、明智光秀の長男である明智光慶(あけち みつよし)が、出家して南国梵桂(なんごく ぼんけい)となり本徳寺を開基し、光秀の肖像画を描かせたとされています。光秀の肖像画について、明智光慶について記しています。

明智光秀の妻・妻木 煕子(ひろこ)

明智光秀
土岐桔梗

明智光秀の妻の名は、妻木 煕子(つまき ひろこ)または明智 煕子(あけち ひろこ)とされています。明智光秀の妻は謎に包まれていますが、妻の生涯、疱瘡(ほうそう)や黒髪の逸話、『兼見卿記』に見る光秀の妻の享年について記載しています。

明智光秀の生年

明智光秀
明知光秀の肖像画の切り抜き

明智光秀の生年月日は、信頼性の高い史料からは判別できず、いくつかの説があります。 一番有力視されている生年は、『明智軍記』を参照した享禄元年(1528年)説ですが、『当代記(とうだいき)』を参照した永正13年(1516年)とする説もあります。 その他光秀の生年は諸説ありますが、2つの内のどちからである可能性が高いとされてきました。 しかし近年、光秀と交流があった公家の吉田 兼見(よしだ かねみ)が記した日記から、天文9年(1540年)以降に生まれたと推定できるとする説も浮上しており、未だ定まっていません。 それぞれの説についての詳細を記載しています。

明智光秀の出生地と光秀の母について

明智光秀
明智城址

明智光秀の出生地は、岐阜県可児市広見(かにしひろみ)瀬田(せた)が有力であると目されていますが、他に岐阜県恵那(えな)市明智町、岐阜県山県(やまがた)市とする説もあります。 明智光秀は、謎の多い武将です。 研究はされているようですが、出生地や自身の母についても、詳細はわかっていません。 今回は、現在伝わっている範囲で、出生地と光秀の母についてまとめました。

明智光秀の父~明智家と齋藤道三~

明智光秀
齋藤道三の肖像画 2つ目

明智光秀の前半生は謎に包まれており、父についても諸説あります。 光秀の父には、どのような説が伝わっているのでしょうか。 また、光秀の父は齋藤道三(どうざん)に仕えていたとする説が有力です。 齋藤道三に仕えることになった経緯も記しています。

明智光秀と土岐氏~「ときは今~」の連歌に込められた想いとは~

明智光秀
源頼光の肖像画切り抜き

明智光秀の出自については美濃の守護家・土岐氏の一族で、土岐明智氏の出身とするのが通説となっています。美濃源氏とは何か、土岐氏は源氏の誰の代で派生し、土岐氏になったのか、明智氏は土岐氏の誰の代で派生し明智氏となったのかを記しています。また、本能寺の変の直前に「ときは今」と謀反を暗示するような句を残したと伝わります。その連歌についても記載しています。

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