「くろみつ 慈眼寺」には、墨塗りされた明智光秀像(くろみつ大雄尊)が現存しています。
京都市京北 周山の慈眼寺に、何故、黒塗りされた明智光秀像(くろみつ大雄尊)があるのでしょうか。
この記事では、「くろみつ大雄尊」(明智光秀公墨塗りの黒坐像)について、くろみつ大雄尊を所蔵する慈眼寺について書いています。
明智光秀と丹波国
NHK大河ドラマ第59作『麒麟がくる』の主役にもなった明智光秀は、日本で有名な戦国武将の一人と言えると思います。
織田信長に仕える前は幕臣であった明智光秀ですが、信長に命じられ比叡山焼き討ちを実行するなど武功を挙げて、やがて織田家の重臣になります。
明智光秀は、比叡山焼き討ちで戦禍を被った西教寺の復興に尽力したり、戦で亡くなった家臣を身分に関係なく平等に供養するなどしています。
そして、織田家のエースになった明智光秀は、難題であった丹波地方攻略を信長から命じられます。
天正7年(1579)、足掛け4年程で丹波を平定した明智光秀は、織田信長から「丹波の国での光秀の働きは天下の面目を施した」と賞賛され、丹波一国を与えられます。
丹波国を治めた明智光秀は、城下町の礎を築き、地子銭の免除をするなど善政を敷いたと言われており、現在でも大変慕われています。
「くろみつ大雄尊」(明智光秀公墨塗りの黒坐像)
現在、かつての丹波国に属していた京都市右京区京北周山町に、明智光秀が築城し、重臣・明智光忠を入れたという周山城跡があります。
そして、周山城跡の麓にある慈眼寺には、真っ黒に塗られた明智光秀像が伝わっています。
明智光秀の「人柄を讃え崇敬の念」からつくられたそうで、「くろみつ大雄尊」(明智光秀公墨塗りの黒坐像)と呼ばれています。
明智光秀は家族だけでなく、家臣や領民を思いやるエピソードが伝わる武将ですので、光秀に崇敬の念を持つ民の気持ちが分かります。
また、「くろみつ大雄尊」(明智光秀公墨塗りの黒坐像)の鋭い眼力は、武勇に優れたという明智光秀を表現しているように思います。
ですが、明智光秀の丹波国統治は、長くは続きませんでした。
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀は、本能寺に宿泊していた織田信長を襲撃し、自害に追い込みます(本能寺の変)。
同年6月11日、山崎の戦いで羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)に敗北した明智光秀は、小栗栖にて落命してしまいます。
謀反人の汚名から明智光秀像は真っ黒に塗られ、光秀の家紋・桔梗紋も墨で塗りつぶし、人知れぬ秘像として密かに祀られたそうです。
一般的には逆臣となった明智光秀ですが、それでも領民の方は慕っていたようです。
有名武将でありながら謎の多い明智光秀、黒塗りの光秀像「くろみつ大雄尊」もまた歴史のロマンを感じます。
「曹洞宗 慧日山 慈眼寺」で拝観できますので、ご興味ありましたらお立ちよりください。
曹洞宗 慧日山 慈眼寺の基本情報
通称:くろみつ 慈眼寺
御拝観は土・日・月曜日、10時~16時
(火・水・木・金曜日は要予約)
※ご自身でご確認お願い致します。
電話番号:075-852-0213
所在地:京都市右京区京北周山町上代4
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