麒麟がくる37話のあらすじ、感想を書いています。
足利義昭の挙兵と京追放、一乗谷の戦いで朝倉景鏡に裏切られる朝倉義景、小谷城の戦いで自害に追い込まれる浅井長政。
権力を得た信長は、蘭奢待切り取りという願望を朝廷に伝えます。
足利義昭挙兵する
元亀4年(1573年)3月、足利義昭(滝藤賢一さん)は、畿内の大名を集めて挙兵し、反信長の旗を揚げました。
前年、織田信長(染谷将太さん)が義昭に送った17条の意見書に義昭が激怒した為です。
明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)が恐れていたことが、ついに現実になったのです。
足利義昭が最も頼りに思っているのは、甲斐の武田信玄(石橋凌さん)です。
三方ヶ原にて徳川・織田連合軍に大勝した武田信玄は、元亀4年(1573年)1月に三河に侵撃し、2月には徳川方の野田城を落とします。
信長の同盟相手である徳川家康(風間俊介さん)の防衛網は崩壊し、徳川家は窮地に追いやられます。
しかし、野田城を落とした直後、武田軍の侵攻は突如として停止します。
京へ向かうはずであった武田軍は、何故か甲斐に引き返していきました。
その理由は不明のまま、反信長勢力の朝倉・浅井も姿を見せず、義昭は窮地に立たされます。
同年7月、足利義昭は、幕府奉公衆を頼って宇治の槙島城に籠りますが、ついに敗北します。
足利義昭は、木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)によって捕らえられます。
足利義昭の追放
光秀は、義昭の心を変えることができず、織田信長に仕えることを決意していました。
惨めな姿で捕らえられる義昭を、光秀は目の当たりにします。
藤吉郎は、皆が武家の棟梁として崇めた義昭はこの様であり、これからは我等の世であると光秀に言います。
素足で歩かされた義昭は、光秀の前で立ち止まり、光秀は跪いて見送ります。
勝者となった信長ですが、義昭の命は取らずに、宇治の枇杷庄(びわのしょう)に送るにとどめます。
敗軍の将となった三淵藤英
二条城の守備を任されていた三淵藤英(谷原章介さん)は、ついに織田軍に降伏し、居城・伏見城に戻されます。
敗軍の将となった三淵藤英は、弟・細川藤孝(眞島秀和さん)が、義昭を裏切り織田方に内通していたことを知ります。
細川藤孝は、光秀と共に藤英に対面すると、迷いなく主座に座ります。
おもてを上げられよと言う細川藤孝の声で顔を上げた三淵藤英は、足利義昭の身を案じます。
光秀が宇治の枇杷庄に移ったと伝えると、三淵藤英は安堵します。
しかし、細川藤孝が兄・三淵藤英も無事で良かったと言うと顔色が変わり、足利義昭や幕府の情報を信長に流していたことを咎めます。
そして、裏切り者と罵られても、藤孝は平気な顔をして、政を行うには時の流れを見ることが重要であると言いのけます。
三淵藤英には、足利義昭を見捨てた言い訳に聞こえ、目に涙を浮かべ厳しい顔をします。
そんな兄に対し、藤孝は三好方の岩成友通が籠る淀城を、兄弟で攻め落とすようにと信長の下知を伝えます。
三淵藤英と軍議できる状態でないと判断したのか、淀城攻めについては後日にしようと、細川藤孝は一礼して退室しました。
三淵藤英は二条城で命を落とす覚悟であったと言い、義昭の命を助けてもらえるならと投降したのだと光秀に打ち明けます。
お互いの間にあるのは、ほんの僅かな立場の差であると感じた光秀の気持ちは、スッキリしません。
三淵藤英の横に歩み寄った光秀は、力添えをして欲しいと片膝をついてお願いしました。
武田信玄この世を去る
数日後、家臣を従えた光秀が妙覚寺の門前にくると、町衆姿の男に小さな紙きれを渡されます。
町衆姿の男は、菊丸(岡村隆史さん)の遣いで、その紙には衝撃の事実が書かれていました。
元亀4年(1573年)4月、自身の死を3年秘すよう厳命した武田信玄は、甲斐に引き返す途中、この世を去っていたのです。
菊丸は望月東庵(堺正章さん)の診療所を訪ねており、鍼治療中の藤吉郎の母・なか(銀粉蝶さん)に出くわします。
菊丸が遠江から京まで旅してやって来たことを知ったなかは、三方ヶ原にて大敗した徳川様はどうしているのかと呟きます。
徳川家康は健在であると言う菊丸に、なかは何故、武田信玄は京に攻め上らなかったのかと菊丸に問い詰めるように尋ねます。
菊丸は無言でしたが、動かれては鍼治療がやりずらいと望月東庵に咎められて、なかは大人しくなりました。
足利義昭 再起を図る
義昭が送られた枇杷庄は、ひっそりとした寂しい場所です。
駒(門脇麦さん)は枇杷庄にある寺を訪ねると、諸大名に書状をしたためる義昭の姿がありました。
足利義昭は、再起を図ると明るく振舞いますが、見せかけの元気であることは明白でした。
返事があるかは分からないが、将軍である限り書状を書くという義昭に、将軍を辞して欲しいと駒は迫ります。
義昭が門跡の頃から顔見知りだった駒は、義昭が将軍になれば太平の世が訪れると期待していました。
ですが貧しい者、病に苦しむ者を救う施設を作る為に渡した駒のお金は、人々を救うどころか、鉄砲に姿を変えました。
涙を流す駒に、戦を無くす為には、戦をするしかないと義昭は答え、逃れるように、再び筆を執ろうとする義昭の目には、涙が溢れていました。
元号の改元
光秀は岐阜城に登城し、敵方の一乗寺山城の降伏と破却を伝えます。
そう話す光秀に、信長は改元を言上したと言います。
元号の改元を申し出るのは、本来将軍の役目でしたが、将軍不在の今、信長が代わりに改元を言上したのです。
信長は朝廷から提案された5つの候補の内で、「天が正しい」と読める「天正」が良いと言い、光秀も頷きます。
足利義昭の今後が気になっていた光秀は、信長に尋ねますが、数人家来を付けて何処かに追い払えば良い、藤吉郎に任せてあると関心が無い様子で返答します。
東に配慮しなくても良いとなれば、朝倉、浅井攻めに集中できると思った信長は、武田信玄はどうしたのだろうかと光秀に尋ねます。
未だ不確かであるものの、信玄は既にこの世にいないとの噂があると光秀は答え、信長を驚かせます。
一乗谷城の戦い、小谷城の戦い
元号が元亀から天正へ改まった天正元年(1573年)8月、浅井長政(金井浩人さん)の重臣が離反したとの情報を得ます。
好機と見た信長は、その夜、浅井を討つべく北近江に向けて進軍します。
織田軍は、浅井長政の拠点・小谷城の北にある山田山に陣取ります。
越前の朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)は、浅井長政を救援すべく北近江の木ノ本(きのもと)に到着しますが、小谷城の砦が次々陥落したことを知ると形勢不利を悟り退却を始めます。
織田信長は、自ら陣頭指揮を執って朝倉軍を追撃し、奮戦した後、山崎吉家(榎木孝明さん)など朝倉の重臣を討ち取ります。
獅子奮迅の勢いで木ノ芽峠を越えた織田軍は、朝倉家の拠点・一乗谷の市街地を焼き払いました。
朝倉義景は、傷だらけになりながら、大野郡の六坊賢松寺に逃れますが、朝倉景鏡(手塚とおるさん)に自害を勧められます。
朝倉の名が絶え果てるという朝倉義景に対し、朝倉景鏡はベロッと舌を出し裏切りを知らせます。
朝倉景鏡を追って外に出た朝倉義景は、景鏡の兵に囲まれ、自刃して果てました。
100年続いた越前朝倉家の滅亡です。
織田軍は北近江に返して小谷城を攻撃し、妹の嫁ぎ先である浅井家に降伏勧告をしましたが、浅井長政と父・久政は応じませんでした。
浅井長政父子は自害し、浅井家も滅亡します。
松永久秀が多聞山城を差し出す
将軍・足利義昭を京から追放し、朝倉、浅井家も滅亡させ、群雄割拠していた戦国の世は、信長によって新たな時代になろうとしていました。
妙覚寺では、朝倉、浅井家から奪い取った宝を目利きする今井宗久(陣内孝則さん)の姿がありました。
信長は光秀を呼び寄せると、松永久秀(吉田鋼太郎さん)が許しを乞うてきたがどう思うかと尋ね、光秀は久秀を味方にすれば心強いと言います。
光秀の助言を受けた信長は、多聞山城(たもんやまじょう)を信長に差し出すという久秀を許すことにしました。
蘭奢待と信長
目利きを終えた今井宗久は、信長に天下を統一したも同然であると賞賛します。
すると信長は、蘭奢待(らんじゃたい)を知っているかと今井宗久と光秀に問い、二人とも知ってはいるものの、見たことは無い様子です。
蘭奢待は、大きな事を成し遂げた者しか見ることが出来ない良い香りのする木材で、光秀らも目の当たりにしたことは無かったのです。
蘭奢待を拝見したいと願う信長に、今井宗久は信長の右に出る武士は居ないため拝見できるだろうと見解を述べると、信長は光秀の意見も求めます。
光秀は拝見となれば、蘭奢待を収蔵する東大寺正倉院の他に、正親町天皇(坂東玉三郎さん)の許しを得る必要があると進言します。
正親町天皇の信任を得ていると思っている信長は、天皇の許しは得られるだろうと言います。
廊下で今井宗久と二人になった光秀は、蘭奢待について信長は何を考えているのだろうかと疑問を吐露します。
将軍を都から追放し、朝倉、浅井も討ち果たした信長は、京の周辺では敵なしという状態です。
頂点に立った信長だからこそ、見たい景色があるのではないかと今井宗久は見解を述べます。
ですが、光秀は今は山の中腹あたりで、頂上までは遠いと思っていました。
信長はどのような世をつくるだろうか、光秀は信長の本意を測りかねていました。
今井宗久は、信長は見える形で自身の値打ちが知りたいと思っているのではないか、見える景色が変われば人も変わると言い残し去っていきました。
蘭奢待の切り取り
正親町天皇が御座す内裏では、三条西実澄(石橋蓮司さん)が天皇に謁見していました。
三条西実澄は、将軍不在の今、信長に昇殿(しょうでん)出来る身分である官位を与えたことを報告します。
正親町天皇は、天下静謐に励む信長に褒美を与えても良いと考えるものの、蘭奢待を所望する信長に頭を悩ませていました。
蘭奢待は時の権力者によって切り取られていますが、最期に切り取ったのは室町幕府幕府第8代将軍・足利義政です。
しかるべき者が、しかるべき手順を踏んで叶う望であると、三条西実澄は絶句します。
天正2年(1574年)3月、110年ぶりに、大和の東大寺正倉院から蘭奢待が運び出されました。
大和の多聞山城に到着した蘭奢待を前にした信長は、感無量の表情です。
室町幕府第3代将軍・足利義満、第6代将軍・足利義教、8代将軍・足利義政もかつて蘭奢待を切り取ったことがあります。
信長は感慨深い様子で蘭奢待を切り取りました。
信長が切り取った蘭奢待は二つあり、正親町天皇を喜ばせるため、信長は天皇に一つ献上しました。
しかし、正親町天皇は全く嬉しくない様子で、毛利(輝元)に送るよう三条西実澄に命じました。
毛利(輝元)は信長の敵ですが、関白・二条晴良(小藪千豊さん)を通じて、蘭奢待を所望しているそうです。
その頃、信長に従っていた三淵藤英は、急に光秀の坂本城に預けられることになりました。
三淵藤英は1年間、信長に加勢していましたが、藤英の居城・伏見城が急に取り壊され光秀も驚いているようです。
信長の心の内が分からないと光秀が吐露すると、主とはそういうもので、その時にどうするかが家臣の器であると藤英は言います。
そして、坂本城は良い城であると三淵藤英は言い、悟ったように外の景色を眺めています。
麒麟がくる37話の感想
37話では、忠義の人・三淵藤英の姿が描かれました。
三淵藤英は、26話で朝倉義景の嫡男・阿君丸(くまぎみまる)に毒を盛ったことで、ダークなイメージがありました。
無関係の子供に毒を盛るのは残酷ですが、それも足利義昭の上洛を思ってのことでしたので、義昭に対しては忠義の人なんだと思いました。
三淵藤英からすれば、弟である細川藤孝が裏切っていたことは許せないでしょうし、義昭に対して申し訳ない気持ちもあると思います。
一方の細川藤孝は、長年仕えた将軍家や兄を裏切ったのに、平然とした態度で「時の流れを読む必要がある」と言います。
明智光秀が本能寺の変を起こした後、味方になってくれると一番期待したのは盟友で親族でもある細川藤孝だと云われています。
後に、光秀の誘いを断る細川藤孝の姿が見えた気がします。
武田信玄はアッサリ亡くなりましたが、光秀が参じてない戦であり、関わりもないので仕方ないと思いました。
徳川を守る為に、信玄の死を織田方に知らせたい菊丸の気持ちは分かります。
知らせる相手が明智光秀というのは、シックリ来ませんでしたが…、そこは主役なので、気にしないところでしょうか。
その後も、総集編を見ているような急ぎ足で、話は進みました。
一乗谷の戦い、小谷城の戦いに光秀は参じてませんので、そう考えれば仕方ないですが…、朝倉義景は麒麟がくるでは重要な役ですよね。
ドラマなので、光秀が朝倉攻めに関与していたことにしても良かったと思いますし、もう少し丁寧に描けなかったのかと残念に思います。
ただ、NHKのガイドブックには、もう少しだけ詳しく書いてあるので、コロナの影響があるのかもしれません。
一方、舌を出す朝倉景鏡は印象的で良かったですし、朝倉家に対する義景の誇りが表現されていたのも良かったと思いました。
以前の桶狭間の戦いは、20話で戦の前触れを描き、21話で戦いの様子をじっくり描いています。
21話で明智光秀は、10分も出演していなかったと思います。
後半、こう端折られると、その時は良いと思っていた桶狭間の戦い場面も、短くても良かったような気がしてしまいます。
そう残念に思うのは、本能寺の変、山崎の戦いもアッサリ描かれるような予感があることも一因です。
じっくり描くとしたら、明智光忠、溝尾茂朝は欠かせないと思うのですが、キャストの発表がありません。
明智五宿老を登場させないで、桶狭間の戦い、今回は蘭奢待…、主役は一体誰だろうかと考えます。
それでも蘭奢待の場面を通して、正親町天皇と信長の間に距離ができたこと、光秀と信長の間にあるズレを表現していたので、蘭奢待は必要だったかもしれませんが。
蘭奢待を拝見したいと信長が言うシーンで、「わしはどうかな?」と今井宗久と光秀に迫る場面が良かったです。
自分で言うより相手に言わせる、信長の承認欲求が上手く表現されていたと思います。
染谷将太さんの信長は、徐々に、狂気じみた信長になる様子が伝わり、名演技に思います。
また、正親町天皇は、信長を信頼しているのではなく、太平の世をもたらしてくれる人を求めているようですね。
暴走した信長を、朝廷の意向を汲んだ光秀が止めるというシナリオかもしれないと思いました。
本能寺の変は、朝廷が黒幕だったというストーリーもあり得るかなと考えます。
坂東玉三郎さんの正親町天皇は、気品があり、冷徹さもありそうな不気味な帝ですね。
感情を顔に出さないミステリアスな雰囲気もあり、蘭奢待を毛利輝元に平然と送る残酷さもあり、見応えのある天皇を演じていると思います。
最期に、三淵藤英が光秀の坂本城に留め置かれる場面では、何かを決意したような三淵藤英が美しく見えました。
蘭奢待の時と同様に、信長の考えが理解できない光秀、信長との溝を演出したように感じました。
光秀が信長に仕えた37話で違和感を感じたことになりますので、違和感を感じるまで1話挟んで欲しかった思いはあります。
(※麒麟がくるの放送では、いつ信長に仕えたか明言はありませんが、NHKのガイドブックによると37話で信長を主君に選んだことになっています。
因みに、ガイドブックに全ては書かれていないので、本能寺の変等については、放送まで分かりません。)
37話の平均世帯視聴率は、12.2%だったそうです。
裏番組にM1と鬼滅の刃があったので、もっと低いと思っていましたが、36話から0.1ポイント下がっただけでした。
思ったよりも高くて驚きました。
視聴層が違うのかもしれませんが、固定のファンが多いということでしょうか。
残り僅かですが、最後まで楽しめると良いなと思います。
コメント
コメント一覧 (3件)
かおりんさん、こんにちは。
正親町天皇の気持ちが読めない演技は素晴らしいですね。
大名たちからは一段上の、日本全体を俯瞰したような目線で見ているような描き方は素晴らしいと思いました。
天下静謐のために、信長にも毛利にも肩入れせず淡々と判断する様子は不気味でもあり、神々しくもありますね。
一乗谷城と小谷城の戦いが省略されてしまったのは僕もちょっと残念でしたw
こんばんは。
ありがとうございます。
坂東玉三郎さんならではの素晴らしい帝ですね。
おっしゃる通り、不気味ですけど神々しいですね。
麒麟がくるは、俳優の演技が光ります。
朝倉、浅井攻めは、もしかしたらコロナの影響だろうかと納得することにしました。
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