麒麟がくる26話あらすじ【ネタバレ】越前を去り信長と船出する

10月4日に放送予定の麒麟がくる26話の詳細なネタバレを含んだあらすじ記事です。

元服を果たした足利義昭一行は、朝倉義景に上洛を期待しますが、朝倉景鏡など異を唱える者もいて朝倉家中は一枚岩ではありませんでした。

明智光秀は、越前での暮らしに潮時を感じ、織田信長の元へ行く決意をします。

目次

足利義栄が14代将軍に就任する

足利義輝(向井理さん)が亡くなって2年以上経った永禄11年(1568年)、ようやく14代将軍に足利義栄(一ノ瀬颯さん)が就任しました。

しかし、足利義栄は重い病を抱えていて、摂津富田(とんだ)にある普門寺(ふもんじ)に留まり京に入っていませんでした。

将軍不在の京を治めていたのは、足利義輝を滅ぼし、足利義栄を将軍に担いだ三好一族です。

畿内の実力者であった亡き三好長慶(山路和弘さん)に代わり、京を手中に収めているのです。

朝廷では、足利義栄が上洛しない理由は何故か、という話になっていて、足利義栄が重病のためとも、三好一族の操り人形になるのを避けているとも噂されています。

朝廷で批判を浴びる近衛前久

就任早々、将軍不在という状況になり、三好一族に脅されて足利義栄を将軍に推挙した近衛前久(本郷奏多さん)は、朝廷で批判を浴びることになってしまいます。

更に、三好一族は、将軍任官を願い出る際に渡す礼金が足りず、質の悪い銭を差し出しており、その非難の矛先も前久に向いている状況です。

この事態を招いた近衛前久が、関白職に留まって良いのかという声まで上がり、窮地に立たされたのです。

その後、近衛前久が御所を退出し、輿に乗っていると、御所の塀の前で伊呂波太夫(尾野真千子さん)に出くわします。

伊呂波太夫は、天皇が住む御所の塀が崩れていることを気に掛け、天皇の威光に関わると前久に修繕を迫るのです。

しかし、朝廷に塀を修繕する費用がありません。

伊呂波太夫は、お金なら集めてみせると豪語すると、近衛前久は輿から降りて、苦しい立場に追い込まれた現状を伊呂波太夫に訴えます。

近衛前久のライバルは二条晴良

また前久は、ライバルの公家・二条晴良(小藪千豊さん)のことも気になっていました。

足利義輝の弟・義秋(元服後に義昭と改名)(滝藤賢一さん)は、越前に身を寄せながら、将軍になる機会を待っています。

足利義輝存命中は、義秋(義昭)は出家していた為、元服をしていませんでした。

義秋(義昭)は、将軍になる為に必要な元服の儀をする為の申請をしており、二条晴良の取次により、天皇が承認していたのです。

二条家は近衛家と同じ公家の頂点に立つ家格ですが、関白職は近衛家に長年独占されていました。

それを快く思っていない二条晴良が、次期将軍擁立に携わることで、近衛家を見返そうとしているのではないかと近衛前久は考えていました。

そんな前久に越前に下向し、義秋(義昭)の元服許可を伝えるよう勅命が下されていましたが、気が進まず伊呂波太夫に代理を頼み込みます。

京の美しい景色を取り戻したい伊呂波太夫は、越前行きを引き受ける代わりに、御所の塀の修繕費をねだるのです。

元服し上洛を見据える義昭一行

同年4月、二条晴良を越前に招き、義秋はついに元服を果たし、武士になりました。

元服を機に義昭と改名し、烏帽子親は、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)が務めています。

一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡

これで、晴れて将軍になる資格を得た義昭ですが、共に上洛してくれる大名を求めています。

義昭一行が期待していた上杉謙信は、ライバルの武田信玄に寝返った重臣を討つ為の戦で、忙しくしています。

かつて、足利義輝に味方した六角承禎(六角義賢)は、信長に敗れた斎藤龍興を匿い、敵である三好一族とも通じているとの噂があり期待できません。

大和の松永久秀(吉田鋼太郎さん)は、三好家の内紛により交戦中です。

そのような状況により、上洛に手を貸してくれそうな戦国大名は、義景と信長に絞られていたのです。

三淵藤英(谷原章介さん)や細川藤孝(眞島秀和さん)は、義景と信長(染谷将太さん)の協力が得られれば、三好と戦えると見立てますが、光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)は疑いを持っている様子です。

朝倉景鏡が上洛に異を唱える

そこへ、義景の家老・山崎吉家(榎木孝明さん)がやってきて、翌々日に義昭の元服を祝う宴会を催すので、光秀にも参加して欲しいと告げます。

ただし、朝倉家家中の全員が、義昭の上洛に付き従いたいわけでないと言い添えます。

そのことを念頭に置いて宴に参加して欲しと言い、余計な戦はゴメンだと、意味ありげに笑いました。

明智光秀は、朝倉館に行く途中、一乗谷の市にある鍛冶屋の前で足を止めます。

閑散とした店内の様子が気になった光秀は、店主に尋ねます。

すると、余りにも暇なので、職人達が畑仕事に戻ってしまったのだと言います。

戦があれば槍や矢尻(突き刺さる部分)が売れるのに、当分、戦の気配がなく、商売にならないと店主がボヤキます。

しかし、戦が無く平和なのは良いと、複雑な気持ちを光秀に打ち明けました。

宴の席で義景は、義昭の烏帽子親になったのも、義昭を奉じて上洛をする決意をしたことも、嫡男・阿君丸(くまぎみまる)が背中を押してくれたおかげと上機嫌です。

一方の光秀は、末席で黙々とお酒を飲んでいます。

そこで、義景の従兄弟・朝倉景鏡(手塚とおるさん)は、元服を祝福しつつも、元服と上洛は別の話であると疑問を投じるのです。

朝倉義景は、義昭が元服し上洛した際は、将軍職を授けるという内意を天皇から賜っている為、元服と上洛は一つであると意見します。

しかし、朝倉景鏡は、上洛するということは、三好一族と戦をするのと同じであると反論するのです。

すると義景は、上杉謙信、織田信長、六角承禎と共に上洛すれば、三好一族など一日で片付くと楽観視しているようです。

朝倉景鏡は、武田と戦をしている上杉は期待できず、六角は三好と通じているので敵と見た方が良いと忠告します。

朝倉景鏡は、山崎吉家から近隣諸国の情勢に詳しいと聞いていた為、光秀に意見を求めるのです。

光秀は義景から正直に意見するよう促され、朝倉景鏡の見解を補足しつつ持論を話ます。

そして、越前一乗谷の市で見た物資が有り余る状況について言及します。

これから戦をする国では、武士や将兵が武器や食料を買う為、物が無くなるはずなのに、一乗谷ではその気配はありませんでした。

義景が出陣するつもりでも、皆が動かなければ、戦はできないため、上洛戦をするのは難しいとの見立てを述べます。

光秀の指摘は的確であり、義景のやる気を削ぎかねません。

そこで細川藤孝は、義景が挙兵すれば、諸大名も動くはずであると言い、義景の気持ちを盛り上げます。

藤孝の気働きにより、宴会の雰囲気が戻り、義景は上洛の前祝いにと伊呂波太夫に舞を踊るよう申し付けます。

伊呂波太夫は笑顔で応じ、義景に伴奏として小唄を依頼しました。

信長という舟に乗るよう助言する太夫

その後、光秀が宴会の席を外すと、伊呂波太夫が追ってきました。

伊呂波太夫は、義景は越前で和歌などを詠んでいるのが良く合う人物だと思っていて、幕府を支える器では無いと言います。

そして伊呂波太夫は、上洛を段取り良く進められるのは、光秀しかいないのではないかと問いかけます。

光秀は、足利義輝や斎藤道三(本木雅弘さん)も傍に置きたいと思っていた人物であると、伊呂波太夫は知っています。

越前で約10年間も寺子屋の師匠に甘んじていた光秀ですが、船出の潮時だと伊呂波太夫に促されます。

称念寺(しょうねんじ)

寺子屋を開いた称念寺

すると光秀は、乗る舟が見つからないと答えますが、伊呂波太夫は信長という舟しかないと自信を持って言います。

伊呂波太夫は、「光秀が考えて信長が動けば適うものはない」という帰蝶(川口春奈さん)の言葉も添えます。。

織田信長と船出する決意をする光秀

数日後、決意した光秀は、織田信長に会いに美濃の稲葉山城に向かい、単独で足利義昭を奉じて上洛するよう進言します。

岐阜城(稲葉山城)

稲葉山城(岐阜城)

美濃から京へ上る際に、南近江の六角氏との交戦が予想されますが、信長の所領である尾張と美濃の軍勢だけでも勝つ見込みはあります。

三好も松永久秀と大和で戦の最中であり、京の手勢は手薄になっていました。

今こそ好機であると、光秀は信長に訴えます。

光秀に促された信長は、京に上り大きな世をつくる決心をします。

そして信長は、義昭を美濃へ連れてくるよう命じるのです。

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