-
徳川家康(松平元康)
榊原康政は徳川家康が天下人になる道を切り開いた勇将
陪臣の身分から抜擢された榊原康政は、三方ヶ原の戦いなどで先鋒を務め、徳川家康を支え続けた人物です。 実戦叩き上げで、徳川四天王の一人と言われるまで身を起こした榊原康政とは、どのような生涯だったでしょうか。 また、榊原康政の家紋や子孫についても書いています。 -
徳川家康(松平元康)
石川数正が出奔した理由は何だろうか その生涯とは
石川数正が出奔した理由は何だったのでしょうか。 徳川家康の重臣として知られる石川数正は、何故、徳川家の家老職を捨てて出奔し、豊臣秀吉に仕えたのだろうか。 その謎を石川数正の生涯と共に書いています。 -
徳川家康(松平元康)
結城秀康は徳川家康の次男で越前松平家の祖となった豪将
結城秀康は徳川家康の次男で徳川秀忠の兄、養父は豊臣秀吉と結城晴朝です。 結城秀康は、徳川家康から冷遇されたとも言われますが、関ヶ原の戦いの論功行賞で越前北ノ庄68万石の大名となり、越前松平家の祖となっています。 この記事では、結城秀康の生涯や子孫についても書いています。 -
徳川家康(松平元康)
今川氏真は徳川家康と主従関係が逆転|子孫は高家旗本に起用
父・義元を亡くした今川氏真は、今川氏に従属していた松平元康(徳川家康)に背かれ、同盟国の甲斐の武田信玄に侵攻されています。 やがて、今川氏真は領国を失い、妻の実家・北条氏を頼った後、徳川家康を頼っています。 今川氏真は大名から徳川家康の家臣に身を落としますが、一流の文化人として公家とも交流しています。 大名に返り咲くことのなかった今川氏真ですが、公家文化の高い能力は、子孫に受け継がれています。 江戸時代に、今川氏真の子孫は高家に抜擢され、江戸幕府に重用されています。 大名としての今川家は滅亡しながらも、勝ち組とも思える今川氏真の生涯について、また評価について書いています。 -
徳川家康(松平元康)
酒井忠次|家康に付き従い徳川四天王の筆頭格として重用された生涯
酒井忠次は、「徳川四天王」や「徳川十六神将」の筆頭格で、若かりし頃の家康の筆頭家老ともいうべき人物です。 徳川家康が今川氏の人質時代から付き従い、苦楽を共にしています。 三方ヶ原の戦いでは武田軍の警戒心を煽るため太鼓を叩いたり、長篠の戦いで奇襲作戦を信長に献策した逸話でも有名です。 この記事では酒井忠次の出自から生涯について書いています。 -
徳川家康(松平元康)
松平信康はなぜ父の家康から自害を命じられたのか
松平信康は徳川家康の嫡男であり、織田信長の娘婿でもあります。 ですが、なぜか父・家康から切腹を命じられ、自害して果てています。 この記事では、松平信康の生涯を追いながら、なぜ自害を命じられたのかを書いています。 -
徳川家康(松平元康)
久松俊勝(長家)は徳川家康の継父であり家臣、しかし最後は出奔
久松俊勝(長家)は、尾張の織田信秀に属する坂部城(阿久比城)主ですが、桶狭間の戦い後から徳川家康に従っています。 また、久松俊勝(長家)は、徳川家康の母・於大の方の再婚相手として知られています。 -
織田信長
桶狭間の戦いの勝因~織田信長はなぜ勝てたのか~
織田信長は、桶狭間の戦いでなぜ勝てたのか不思議に思うかもしれません。 この記事では、成り上がり者の織田信長が、広大な領土を支配し大軍を率いる今川義元に勝てた勝因について書いています。 また、結果として勝利した信長ですが、大将を失など信長側... -
徳川家康(松平元康)
築山殿(瀬名姫)|家康の妻で非業の最期を遂げた生涯
築山殿(瀬名姫)は、徳川家康の正室ですが、家康の命を受けた家臣によって命を奪われており、非業の最期を遂げています。 築山殿(瀬名姫)の生涯や子孫についても書いています。 -
徳川家康(松平元康)
松平広忠とは 徳川家康の父で今川と織田に挟まれながら生き抜いた生涯
松平広忠とは徳川家康(竹千代)の父です。10歳で父を失い、同族の松平信定・信孝と対立し、今川義元や織田信秀ら強国に挟まれながら生きた生涯について書いています。