かごめかごめ」で知られる歌は、子供が遊ぶ時にうたわれたり、童謡としても知られています。

地域によって歌詞や解釈が違うのですが、謎めいた歌詞や解釈があり、明智光秀に関するものもありますので紹介させていただきます。

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明智光秀と天海

「かごめかごめ」は江戸時代の中期に文献で見られ、唄が広まったのは昭和初期だと云われています。

この「かごめかごめ」という唄は、明智光秀のことを指しているという解釈があるのですが、明智光秀と天海(てんかい)という僧侶が同一人物ではないかとする説に基づいていますので、明智光秀と天海について簡単に記します。

 

明智光秀は言うまでもないかもしれませんが、織田信長の家臣でありながら、本能寺の変で信長を自害に追い込み、山崎の合戦にて豊臣秀吉に敗れ自害したとされている人物です。

多くの人は聞き覚えのある名前だと思いますが、光秀の前半生は信頼のできる史料には記載されてなく、ハッキリとはわかっていません。

織田信長の家臣になった頃から、光秀の足取りが分かってくるのですが、亡くなった時のことも定かではなく、山崎の合戦の後も実は生きていたとする説もあります。

光秀の生涯が謎めいているから、「かごめかごめ」の謎と重ねた話が出てくるのかもしれませんが、「かごめかごめ」では光秀は生き延びていたとして唄の解釈がされています。

 

一方の天海という僧侶も謎に包まれていますが、1590年に起きた豊臣秀吉の天下統一の仕上げと云われている小田原征伐の際には、徳川家康の元にいたとされ、家康の側近となる人物です。

家康が後に幕府を開く際に、江戸にしたのは天海の助言があったためとも伝わり、それほどまでに信頼され参謀としても活躍したと云われています。

「かごめかごめ」の唄は天海と光秀が同一人物ではないかと暗示しているという解釈がありますので、その紹介をさせていただきます。

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「かごめかごめ」の唄に込められた意味

先に述べたように地域により歌詞が違いますが、今回は「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?」という歌詞について記載します。

かごめとは、籠の目のことであるとされており、イメージでお伝えすると下の図のような網目のことです。

 

籠目

籠の目

 

籠の目は竹で編むと6角形をしており、六芒星(ろくぼうせい)を表しているとも云われています。

六芒星(ろくぼうせい)
引用元Wikipedia 六芒星(Mukai様作)

光秀とこの籠の目がどう繋がるかというと、明智光秀ゆかりの地である土岐(岐阜県)、明智神社(福井県)、徳川家康ゆかりの地である日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)(栃木県)、江戸城(東京都)、駿府(すんぷ)(静岡県)、佐渡金山(新潟県)を日本日図で辿ると、上の図のような大きな「かごめ」が地図上にできるという意味です。

(※徳川家だけのゆかりの地を辿っても籠目になり、中心となった場所に徳川埋蔵金が隠してあるとする説もあります。)

今回キーポイントとなる日光東照宮とは、徳川家康が東照大権現(とうしょうだいごんげん)として神格化され、祀られた神社です。

では、言葉毎に区切って解釈をお伝えします。

 

籠の中の鳥

「籠の中の鳥」の鳥とは、明智光秀と同族とされる土岐(とき)氏のこととされています。

「鳥」⇒「とり」⇒「とき」と転じ光秀のことという解釈になるようです。

 

いついつ出やる

「いついつ出やる」とは、いつか光秀が復活することをしるしているそうです。

 

夜明けの晩

「夜明けの晩」とは、夜明けの晩(終わりに)という意味になり、つまり日の出のこと、そして、日の出から転じて、日の光、日光を見るとなり日光東照宮の方向を指しているとされています。

「夜明けの晩」⇒「夜明けの終わり」⇒「日の出」⇒「日の光」⇒「日光東照宮」と転じます。

 

鶴と亀が統べった

「鶴と亀が統<す>べった」の「鶴」と「亀」とは、日光東照宮の徳川家康の墓所である宝塔近くにある、「鶴」と「亀」の像を指しているとされて、「鶴」は飛ぶので「天」をイメージさせ、「亀」は泳ぐので「海」のイメージがあり、」転じて「天海」となるそうです。

日光東照宮

日光東照宮

「統べった」は「統治する」と解釈され、家康の側近であった天海が、家康の参謀として裏で世を統治するという意味だといいます。

「鶴」と「亀」の像は、福井県の「敦賀<つるが>」と京都にある「岡」を指すとも言われ、「統べった」は「統治する」意味なので、敦賀と亀岡(当時は亀山といい光秀の居城・亀山城があったところ)を統治した光秀のことを指すとされています。

 

また、福井県に光秀の住居跡と伝わる明智神社があるのですが、「鶴」⇒福井県「敦賀<つるが>」⇒福井県の「明智神社」に転じて、「鶴」とは「明智神社」のことであるとする説があります。

つまり、日光東照宮にある「鶴」は「明智神社」のことで、「亀」とは光秀の居城である「亀山城」を指し、亀山は光秀が統治していたので、「統べった」となるという解釈です。

※明治より前の文献では、「鶴と亀が統べった」の文字が確認できないとのことで、近代になって付け足された可能性があります。

 

後ろの正面、だあれ?

「後ろの正面、だあれ?」は、「後ろを向いた時に正面に居る人はだあれ?」との意味になります。

明智光秀の出生地として有力視されている岐阜県可児(かに)市から日光東照宮のある日光の方向を向くと、「後ろの正面」は大阪府岸和田市にある本徳寺(ほんとくじ)になり、本徳寺は光秀生存説の伝承や光秀の肖像画を唯一保有しているお寺でもあるため光秀を連想させるとされています。

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筆者の所感

皆さまはどのように感じたでしょうか。

この話は歴史にロマンを感じる方もいらっしゃるようです。

筆者もロマンあるわ~と乗るところなのかなと思いましたが、こじ付けた感じが強くてこの説はキツイなと感じています…。

「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 」までもキツイですが、ここまではそうだとしても「鶴と亀が統べった」の解釈は、無理があるなと感じます。

「鶴」と「亀」とは、光秀が統治した「敦賀」と「亀岡」とのことですが、「敦賀」を統治してたのは初耳でしたので、調べてみましたが、統治した記録はないようです。

「亀岡」は光秀の統治した地ですが、「敦賀」(福井県)に関しての光秀の記録はありません。

先に述べたように光秀は謎の多い人物で、この辺りのことも諸説あり定かではありませんが、福井県にいた痕跡はあります。

その際に、「敦賀」を治めていた朝倉氏に仕えていた可能性があるので、「敦賀」に関してはゆかりの地の可能性があるということだと思います。

 

また、「鶴」が福井県の「敦賀<つるが>」に転じ「明智神社」に繋がる説ですが、明智神社が敦賀市にあるなら意味がわかります。

「明智神社」がある福井市東大味から「敦賀市」まで49 キロあるようですし、「」⇒「敦賀<つるが>」⇒同じ福井県なだけで「明智神社」?に転じることが理解できませんでした…。

筆者が何かおかしいのか、「ロマンあるわ~」と言いたかったのに、そう思えず残念ですが、「かごめかごめ」の唄と光秀は関係ないというのが個人的な見解です。

 

 

この他にも沢山、光秀が天海と同一人物ではないかとされる所以があり、こちらの記事にまとめています。

また、天海についてももう少し詳しく書いています。

👇

明智光秀は生きて天海という僧侶になったとする説を検証する

 

かおりんかおりん

明智光秀を主人公にした児童向け学習まんがです。

児童の入門書になるように工夫されているそうです。

 

光秀の生存説や唯一肖像画を所有している本徳寺の記事はこちらです。

👇

明智光秀の肖像画~本徳寺の肖像画は明智光慶が描かせた!?~

 

光秀の居城であった亀山城についてはこちらです。

👇

明智光秀の城