麒麟がくる43話のあらすじ、感想を書いています。
明智光秀は、波多野秀治を降伏させた後に丹波を平定しました。
しかし、正親町天皇譲位の責任者に任命された光秀は、月にまで届く大きな樹を切る夢にうなされるようになります。
その後、徳川家康の饗応役を務めた光秀は、信長に足蹴にされる事態になり、緊迫した雰囲気になります。
波多野秀治の八上城を落とし丹波平定
天正7年(1579年)夏、細川藤孝(眞島秀和さん)の援軍を得た明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)は、丹波の八上城、黒井城を落とし丹波国を平定しました。
その後、光秀は、細川藤孝と共に丹後国も平定し、近江の安土城に登城します。
難しい国である丹波国を平定したことは偉業であり、織田信長(染谷将太さん)は上機嫌です。
信長は「天下に面目をほどこした」と言い、光秀と藤孝を称えます。
光秀は信長の威光があってこそであると言い、信長は満足そうに微笑み、森蘭丸(板垣瑞生さん)に二つの桶を持ってこさせます。
しかし、桶の中身を見せられた光秀は、言葉も無く固まってしまいます。
まるで褒美かのように見せた桶の中には、八上城主・波多野秀治(白畑真逸さん)、秀治の弟の首が入っていたのです。
光秀は、降参した波多野兄弟を安土城に送り出す際、命は取らないよう信長に進言しているので安心して欲しいと伝えていました。
ですが、信長はよく生きたまま送ってくれた、磔にしてやったと良いことをしたかのように笑顔で話します。
そして、裏切り者である波多野兄弟の首が入った桶を、皆に回すよう信長は言います。
波多野兄弟は、一度は信長に従いましたが、後に裏切り黒井城主と共に抵抗した為、丹波平定を手こずらせた経緯があります。
佐久間信盛を責める信長
明るかった光秀の顔は曇り、信長は佐久間信盛(金子ノブアキさん)の顔を見て怖い顔をします。
佐久間信盛は、大坂本願寺攻めを任されていますが、門徒を束ねる顕如(武田幸三さん)は降伏しません。
大坂本願寺をいつ明け渡すのか、信長は信盛を叱責します。
そして、丹波を平定した光秀の足元にも及ばない、恥を知れと罵ります。
大坂本願寺の攻略もSクラスの難易度ですが、佐久間信盛は茶の湯が好きで、茶会にうつつを抜かしているとの情報が信長の耳にも入っており、憤っているのです。
佐久間信盛が頭を下げて返事をすると、波多野が入っている桶が信盛の目線にありました。
信長は毛利攻めの総大将・秀吉(佐々木蔵之介さん)にも檄を飛ばしますが、その後、笑顔になり天守で宴をすると言いました。
天皇譲位の責任者に任命される
光秀は細川藤孝と共に天守に向かう途中で、秀吉から信長が呼んでいると聞かされ、信長の元へ向かいます。
一方、藤孝に話がある秀吉は、部屋で二人になって話します。
信長は正親町天皇(坂東玉三郎さん)に譲位してもらおうと考えていますが、秀吉はやり過ぎであると思うようで、関白に返り咲いた近衛前久(本郷奏多さん)は何て言っているだろうと藤孝に問います。
当然、近衛前久は譲位の件を承知していません。
細川藤孝がそう答えると、秀吉はやはりと思い、信長は何かに焦っているようであると言います。
その頃、信長は、「従五位上」の官位を光秀に授けるよう朝廷に申し入れようと思っていると光秀に伝えます。
丹波を平定した光秀は、信長から丹波一国を恩賞として与えられ、近江と丹波を治める大大名に出世しています。
その上、「従五位上」の官位まで得れば、末代までの誉れ、光秀は喜ぶであろうと信長は考えていました。
ですが、光秀は、「従五位上」という立派な官位に戸惑っており、不思議な顔をする信長に言います。
信長も右大臣、右大将を辞退したと。
信長は正親町天皇から下賜されたので辞退したものの、譲位して誠仁親王(加藤清史郎さん)が即位すれば、話は別であると答えます。
光秀も誠仁親王から官位を頂けば良いと信長は言います。
信長は、誠仁親王には二条新御所に転居してもらい、二条新御所を朝廷にしたいと言い、光秀を驚かせます。
その上、御所替えの奉行を光秀と細川藤孝に任せると言います。
光秀は、正親町天皇譲位の責任者に任命されてしまったのです。
誠仁親王を二条新御所に移す
こうして光秀と細川藤孝は、京の若宮御殿に参じ、誠仁親王に拝謁します。
恐れ多いと思いながらも、信長の命令に逆らえず、二条新御所に転居して欲しい旨伝えます。
誠仁親王は、信長のことを「忙しない」と言い、不快感を示します。
光秀は納得できない様子で、細川藤孝と二人で通路を歩いていましたが、やはり武士が口出すことではないと言い、誠仁親王の元に戻ろうとします。
しかし、事を荒立てない方が良いと藤孝に止められます。
そして、細川藤孝は、信長のやり過ぎには声を揃えて進言する覚悟であり、今日のところは帰るよう懇願します。
細川藤孝がそこまで言うならと光秀は思い留まりますが、何かが変わったとやるせない表情をします。
同年11月、誠仁親王は二条新御所に移りました。
頼れるのは光秀
三条西実澄(石橋蓮司さん)の館では、伊呂波太夫(尾野真千子さん)が近衛前久に誠仁親王の御所替えについて話をしています。
三条西実澄が亡くなった途端、この有り様であると。
三条西実澄を含め、朝廷は信長を頼り、金銭面でも援助を受けていた為、仕方がないのだと前久は言います。
御所の塀も直せなかった頃よりは、公家も大事にされているのだと。
世の中には、公家や武士の他に、百姓、商人、旅芸人の一座もいる、皆が良い世だと思えないとダメであると伊呂波太夫は不満そうです。
居合わせた細川藤孝は耳が痛いと言い、信長なら穏やかな世になるかと期待していたようですが、乱世が終わる気配はありません。
信長が頼りにならなければ天皇は誰を頼りにすれば良いのか、伊呂波太夫に問われた近衛前久は、光秀の名前を挙げます。
細川藤孝も頼りになるのは光秀であると考えますが、気になることがあるようです。
先日、光秀は足利義昭に会う為に、備後国の鞆の浦に足を運びました。
そのことを知った秀吉は、織田家が見限った足利義昭を頼ろうとする光秀が気に入らず、藤孝に不満を伝えたそうです。
細川藤孝は光秀の考えを理解できますが、農民出身の秀吉には理解できない話であると言います。
また、藤孝は秀吉の気持ちも分かるようです。
佐久間信盛の追放
天正8年(1580年)4月、織田軍との対峙に力尽きた顕如は、大坂本願寺を退去しました。
その直後、大坂本願寺攻めの総大将を務めていた佐久間信盛は、高野山に追放されます。
織田家の宿老で、最大規模の軍団を従えていた佐久間信盛の失脚です。
月にまで届く大きな樹
場面は変わって、光秀は「月にまで届く大きな樹」を切ろうとする夢を見てうなされていました。
翌日、望月東庵(堺正章さん)の診療所を訪ねた光秀は、帰蝶(川口春奈さん)が目の病の治療をしに、京に来ていることを聞かされます。
光秀は、東庵の手が空くのを待つ間、駒(門脇麦さん)と話をしています。
駒に元気がないことを見抜かれた光秀は、毎晩のように同じ夢を見て寝不足であることを打ち明けます。
「月にまで届く大きな樹(き)を切る夢」であり、樹に登り月に行こうとしている者がいると光秀は言います。
月に行こうとしている者は信長であり、月に登った者は帰らないという昔話が頭にある光秀は、そうならないように樹を切っているそうです。
ですが、樹を切ってしまえば信長の命はない、夢の中でそのことを分かっているにも関わらず、樹を切り続けているのだと。
このまま、夢を見続ければ、信長を討ってしまうのではないか、嫌な夢だと光秀思います。
斎藤道三に成り代わる帰蝶
場面は変わって、光秀は、帰蝶と今井宗久(陣内孝則さん)が待つ居間に到着します。
光秀と帰蝶は、久しぶりの再会に笑みを浮かべます。
帰蝶は、朝は何ともないのに、日暮れになると見える物がぼんやりとすると言います。
光秀は帰蝶を案じます。
また、帰蝶は父・斎藤道三(本木雅弘さん)に気性が似ている、道三自身や美濃衆はそう感じているという話になります。
光秀も同感であり、斎藤道三ならどうするだろうかと、帰蝶に聞きたいことがあるようです。
帰蝶は道三に成り代わって答えると言い、今井宗久は気を利かせて離席します。
気持ちを落ち着かせるように光秀は、今井宗久の点てたお茶をすすります。
帰蝶は信長のことだろうと勘づいています。
織田家に長年仕えた佐久間信盛を追放し、正親町天皇に譲位まで迫る信長は、帰蝶にも異様に見えていたようです。
道三ならどうするか、帰蝶は「毒を盛る信長様に」と答えます。
帰蝶は、自身の夫で盟友のような関係でもある信長に毒を盛ることは、心が痛むと思いますが、道三ならばそうするであろうと言います。
道三は、信長と共に新たな世をつくるよう光秀に言い残しており、信長あっての自分であると光秀は言います。
それ故、己に毒を盛るのと同じように光秀は感じます。
帰蝶は、今の信長を作ったのは、道三と光秀であり、作った者が始末をするしかない。
そして、道三なら、予想外に暴走する信長を討つのは仕方ないと考えるだろうと見解を伝えます。
帰蝶はどう思うだろうかと光秀は問い、そう言う道三が大嫌いであると帰蝶は答えます。
光秀も道三が大嫌いであったと言い、微笑み合います。
甲州攻めで徳川家康と再会する
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍は、甲州攻めで武田氏を滅ぼしました。
武田信玄が没してから9年後の出来事です。
信濃の諏訪にて、信長と徳川家康(風間俊介さん)は喜びあいます。
東国の憂いを取り払った信長の大きな敵は、西国の毛利だけになりました。
家康と久しぶりの再会を果たした光秀は、家康の嫡男・信康、妻の築山殿(小野ゆりこさん)の命を救えなかったことを詫びます。
信長から信康と築山殿の命を奪うよう命じられ、悩んだ家康は光秀に相談していました。
しかし、その後、二人は敵である武田勝頼に通じていたことが判明し、信長から命じられる前に討つべきであったと家康は考えるようになっていました。
アドバイスをもらう家康
家康は光秀に聞きたいことがあると言います。
光秀が領国経営に腐心している様子は、家康の耳にも入っていました。
新たに駿河の統治もすることになった家康は、光秀が近江、丹波を統治するにあたり、何を心がけているのだろうか、どうすれば穏やかな国になるか問います。
光秀は自身の国が豊で、人並みに暮らせるところであれば、他国の領地を奪う戦は起きないのではないだろうかと言います。
そして、領国の田畑はどれ程あるのか、作物の実りがどれ程見込めるのか、検地が必要であるとの考えを伝えます。
田畑に見合った年貢を取り、百姓たちが健やかに、穏やかに生活できれば、国も穏やかになるのではないかと助言し、その様子を森蘭丸が陰から見ていました。
光秀 饗応役に指名される
信長は、家康を安土城に招き、宿敵・武田を滅ぼした祝いをしたいと考えていました。
そこで森蘭丸を使者に遣わしたところ、徳川方からその饗応役は光秀にお願いしたいと要望があったそうです。
徳川方から饗応役の指名があったことを信長は不思議がり、森蘭丸は光秀は家康と親しいようであると言います。
信長が黙っていると、丹羽長秀(松田賢二さん)が口を開きます。
武田が滅んだ今、東海を治める家康が織田に毒を盛られないか警戒しているのではないかと。
信長は、家康の嫡男・信康を自害させたことを恨んでいるのだろうかと考えます。
その後、場面は光秀と家康の対談に戻ります。
家康は、安土城に招かれていると光秀に言い、信長は怖い方なので、饗応役は光秀にお願いしたいと願います。
そして、信長から饗応役を命じられたら、断らないで欲しいと言い添え去って行きました。
天正10年(1582年)5月、近江の安土城では、家康を迎える準備をし終えた光秀が信長と対談していました。
長年に渡り織田家の同盟相手である徳川家康の接待ということで、念入りに準備した光秀は二つ戦を終えたような気持ちになっていました。
饗応役の解任と秀吉の援軍
ですが、光秀は予想外の言葉を耳にします。
饗応役を丹羽長秀に交代して、秀吉の援軍として毛利攻めに加わるようにと。
秀吉から兵が足りないと催促が来ており、近江、丹波の兵を集めて、出陣するよう信長は命じます。
最期まで饗応役をやりたいと光秀は言いますが、毛利攻めが大事であると信長は言い、坂本に戻るよう言いつけます。
それでも、せめて今日一日、饗応役をやりたいと光秀が食い下がった為、信長は不本意ながら容認します。
足蹴にされる光秀
そこまで饗応役に拘るのか、信長は怖い目をしながら、家康と光秀が楽しそうに話す姿を見ていました。
その後、宴の用意が整うと、信長は膳が違う、品数が足りないと光秀に難癖をつけます。
家康は、全くかまわないと、その場を取り繕うとしますが、信長は気が済まないようです。
その上、膳を取りかえようとした光秀の手が滑り、お椀の中身が信長にかかってしまいます。
頭に血が上った信長は、光秀の首に扇子をあて、皆の目の前で光秀を足蹴にします。
「上様に粗相をなさったな。無礼であろう」と言う森蘭丸を払いのけた光秀は、物凄い形相で信長を睨みつけ、「月にまで届く大きな樹」を切る夢を思い出していました。
麒麟がくる43話の感想
丹波平定は、明智光秀の偉業と言われており、光秀の生涯の中でも、大きな出来事だったのではないかと思います。
麒麟がくるで「丹波」という地名は度々登場していたので、いつ描かれるのだろうかと思っていました。
ナレーションだけで終了したのは残念でしたが、波多野秀治が登場して良かったです。
丹波は、明智光秀の大河ドラマ誘致に励んでいたそうです。
丹波を治めた光秀は、善政を敷いたと伝わり、思いやりのある光秀像が浮かび上がります。
光秀はただの裏切り者ではない、丹波に伝わる光秀像はそう思わせてくれます。
じっくり描けば、光秀の魅力を伝えることが出来るのではないかと思いますが、サラリと描いていました。
丹波の人達は、少し残念に思ったかもしれないと思いました。
光秀は波多野秀治の命を助けたと思っていたのに、秀治が入った桶を見せられた時は、さぞかし驚いただろうと思います。
信長は悪びれるどころか、褒美を渡すように光秀に見せていたので、怖い人だなと感じました。
いつの間にか、羽柴秀吉と細川藤孝の距離が近くなったように見えました。
流石、世渡り上手な藤孝だなと思います。
史実かはハッキリしていませんが、麒麟がくるでは、信長が正親町天皇に譲位を迫っているという設定です。
正親町天皇から月見に誘われる程、信頼を得ている光秀に責任者を任せるのも酷だなと思いました。
信長の頭越しに会っていたことが許せなくて、譲位の責任者を担わせたのでしょうか。
また、望月東庵の口から「曲直瀬」の名前が出てきて、意外に思いました。
名医・曲直瀬道三のことであると考えられますが、望月東庵のモデルになった人物ではないかという声もあります。
流石、天皇や大名とも話ができる医者・東庵ですね。
43話では、もう登場しないかもしれないと思った帰蝶が出演して嬉しいです。
父・道三なら毒を盛ると、帰蝶まで光秀の背中を押したのは意外に思いました。
信長を作った責任を取り、光秀が成敗するしかないとレールが敷かれていくように感じました。
川口春奈さんは、急な代役にも関わらず、ベテラン女優かのような貫禄もあって、見とれる位美しかったです。
女軍師のように活躍した帰蝶、記憶に残りました。
家康の嫡男・信康と築山殿は既にこの世に居ませんでした。
徳川家のことですし気になりませんが、荒木村重も麒麟がくるを退場しているようですね。
43話の最後は、徳川家康の饗応役を命じられた光秀が、足蹴にされるという有名な場面でした。
視聴者の声を見てみると、信長は徳川家康の膳に毒を盛るつもりだったのではないか、という意見を目にしました。
そう見えるかもしれない、面白いなと思いました。
そうだとしたら、光秀がいたので毒を盛れなくて、信長が苛立っているとも解釈できますね。
徳川家康の命の恩人は、光秀だったとなれば、江戸時代に光秀の名誉回復に寄与する『明智軍記』が発刊されたのも納得できます。
私には、光秀と家康が仲良くしていて、嫉妬をしているように見えていました。
信長は光秀が好きで頼りにしているのに、すれ違っているのかなと思いました。
嫉妬にしては、信長は怖い目をしていたとも感じましたが。
理不尽に怒られた光秀が、信長を睨む形相は尋常でない凄みを感じました。
顔芸や光秀のチョップみたいな手も気になりました。
信長を排除するよう、周囲の人物たちから背中を押され、信長に対する恨みも溜まって、後もうひと押しで本能寺の変を起こしそうですね。
来週はついに最終回ですが、放送が楽しみです。
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