麒麟がくる21話のあらすじ記事です。
ついに、織田信長と今川義元が激突し、桶狭間の戦いが始まります。
松平元康の寝返り工作、帰蝶に尾張を託す信長、劣勢の信長は如何にして勝利を収めたのかを描いた回です。
期待に応える松平元康
永禄3年(1560年)、今川義元(片岡愛之助さん)が自ら25000の兵を率いて、尾張・沓掛城(くつかけじょう)まで進軍し、織田家に脅威が迫ります。
沓掛城は織田方から今川方に寝返った城、今川軍は沓掛城に入り、織田軍との戦に備えようとしていました。
尾張の大高城、鳴海城も今川方に寝返っていて、連携を取ろうとしていたのです。
そんな大高城を囲むように、織田信長(染谷将太さん)は、丸根砦、鷲津砦を築いていた為、大高城の入城は簡単ではないと思われました。
しかし、大高城にいる今川家の重臣・鵜殿長照(うどの ながてる)(佐藤誓さん)が、兵糧不足を訴えた為、兵糧の補給をする必要があったのです。
その難儀な役目を担った松平元康(風間俊介さん)(後の徳川家康)は、ほぼ無傷で丸根砦と鷲津砦を突破し、大高城に入りました。
沓掛城にいた今川義元は、大高城入城を重臣・朝比奈元長から聞き、三河勢(松平軍)を褒めたたえました。
朝比奈元長(山口馬木也さん)は、翌日の丸根砦と鷲津砦攻めも元康に任せても良いのではないかと、義元に進言します。
しかし、今川義元は、松平元康に二つの砦攻めを任せるのは、負担が大きいと考えたのです。
信長の援軍がくる前に砦を落としたいと考えた義元は、朝比奈泰朝に3000の兵を付けて援軍を命じることにしました。
そして、砦が二つとも落ちたら、今川軍の本隊を大高城に入れるという段取りをつけたのです。
菊丸の説得を受ける松平元康
場面は変わって、大高城にいる松平元康。
元康の母・於大の方(松本若菜さん)の文を届ける為、菊丸(岡村隆史さん)が訪ねていました。
文には、今回の戦から手を引くようにと書かれていたのです。
菊丸も今川義元がいる限り、三河の未来に光が差さない旨を進言します。
ですが、松平元康は、今さら今川義元と敵対出来ないと考えていました。
松平元康は、将来は今川義元の重臣になり、武功を挙げるように教育されていたのです。
三河の領土目当てで松平元康を育てた今川義元は、三河の棟梁という重荷は忘れて、楽になるように仕向けていました。
すると菊丸は、戦になると三河武士は今川に都合良く利用され、今回も危険な先鋒を元康命じると反論しました。
その上、織田信長は、味方してくれれば、三河を全て返すと約束してくれたと菊丸は言い、今川義元との決別を迫りました。
しかし、大軍を擁する今川軍は有利で、大高城にいる三河勢と織田軍を合わせても、今川軍に遠く及びません。
元康は母や菊丸の言うことも分かるものの、ここで義元を裏切れば、勝てる見込みの低い今川の大軍相手に戦わなければならないと菊丸を説得します。
その上、裏切ったとなれば、駿河にいる松平元康の妻子、身内は亡き者にされ、終生裏切り者扱いされることは、耐えがたいと元康は考えたのです。
こうして松平元康は、今川義元の命令に従い、明朝、丸根砦を攻め落とすことを決めました。
今川軍の兵数を探らせる信長
丸根城攻めは、同年5月19日の夜明け前に始まりました。
織田軍は、今川の大軍に僅かな手勢で迎え撃つことになったのです。
説得工作が失敗したことが分かった信長は、清州城に籠城すると家臣らに告げました。
ですが、今川に内通している者がいることに気が付き、嘘の通達をしたのです。
織田信長は、「人間五十年…」と口ずさみます。
信長が好んで演じることのある「敦盛」の一説を声に出しながら、戦略を考えていたのです。
今川軍は、鳴海城の援軍に3000、鷲津砦攻めに2000、大高城にも軍勢を出したため、約7000の兵が今川本隊から減っている算段でした。
また、信長の父・信秀(高橋克典さん)が生前残した言葉によると、義元は駿河にも東側の敵の備えとして、相応の兵を残す用心深い人物だと言います。
更に水野信元(横田栄司さん)の情報によると、今川が自称する総勢より、約6000引いてみた方が良いとも言われていました。
その情報を踏まえ、義元の本隊の兵数を探るように、簗田政綱(やなだ まさつな)(内田健司さん)に命じ、後ほど善照寺砦に参じるよう命じました。
信長が頼りになると思っているのは、各砦で奮戦している家臣達でした。
精鋭の家臣らを善照寺砦に集めて戦えば、勝機があるかもしれないと思っていたのです。
大軍の今川勢は難敵であるものの、義元が駿河からでた好機を見逃すことは出来ず、一縷の望みに賭けていました。
帰蝶に尾張と奇妙丸を託す信長
信長は希望を持つ一方で、生きて帰れないかもしれないと覚悟もしていました。
負けず嫌いな帰蝶(川口春奈さん)ですが、信長の死を覚悟する様子に泣きそうになります。
信長は、「死のうは一定」という小唄の一説を口ずさみ話を切りだすと、帰蝶に会わせてい者がいると言い、離れの部屋に向かいます。
その部屋には、信長の子・奇妙丸(織田信忠)がいました。
生母は、信長の側室・吉乃(きつの)です。
帰蝶との間に子はいなく、織田家の跡取りの為、やむを得ず子をもうけたと信長は説明します。
一方の帰蝶は、信長から突然、子がいることを伝えられ、混乱していました。
呆然と立ちつくす帰蝶に、自分にもしもの時は、奇妙丸を育てて欲しいと頼みます。
信長は結婚してから10年、頼りにしている帰蝶に尾張の未来を託したのです。
勢いづく今川軍と策を巡らす信長
その後、織田の丸根砦と鷲津砦は落とされ、今川勢は勢いづきます。
信長は、鳴海城を囲む為に築いた丹下砦を経由し、善照寺砦へ急ぎました。
その頃、今川義元の本隊は、沓掛城を出て余裕のある様子で、大高城を目指していました。
一方の明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)と左馬助(間宮祥太朗さん)は、清州城にいる帰蝶を訪ねます。
光秀は泣きそうな帰蝶から、信長は善照寺砦に向かったと聞き、急いで後を追うことにしましたのです。
その後、信長は善照寺砦に到着し、砦の守将を任せている佐久間信盛と簗田政綱から、今川軍の情報を聞いていました。
集めた情報を参考に、今川軍は織田軍の倍以上の軍勢だと信長は考えます。
今川軍が桶狭間山辺りにいると聞いた信長は、大高城に入城する前に何とか決着をつけたいと思います。
信長は義元の本隊の兵数を減らす方法がないか考えつつ、大高城にいる松平元康の動向にも気を配っていました。
織田軍が今川軍の本陣を攻める時、背後をつくと考えられるのは、松平元康だからです。
疲労困憊の三河勢(松平軍)に再出陣要請
松平元康は、大高城に帰城しましたが、元康や側近の酒井忠次らは、疲労困憊していました。
今川家の重臣で大高城の鵜殿長照は、松平元康を労います。
なのに松平元康は、浮かない顔をしています。
鵜殿長照から今川義元が駿府を出立する直前に、朝廷より三河守に任ぜられたと聞いた為でした。
三河は松平家の領土でしたので、複雑な気持ちになっていたのです。
松平元康が立ち去ろうとすると、鵜殿長照は鳴海城への出陣を命じます。
しかし松平元康は、翌朝、船で清州城へ行くように今川義元から命じられていました。
織田軍が鳴海城近くにある善照寺砦にいるとの情報を得た為、鳴海城の手勢を増やしたかったのです。
ですが三河勢は、丸根砦の戦を終え帰城したばかりの上、前夜も大高城に兵糧を入れる為、一睡もしていません。
その為、翌朝までの休養を元康は求めましたが、時間が無いとして聞き入れられませんでした。
無理を強いる鵜殿長照と三河勢との間に、不穏な空気が漂っていました。
桶狭間に向かう織田軍
その頃、桶狭間山の今川軍。
中嶋砦から織田軍が襲ってくるとの知らせが入りました。
中嶋砦とは、鳴海城攻めの為に信長が築いた砦です。
しかし、朝比奈泰朝の兵が、戦地で略奪をしていて、本隊にいませんでした。
敵が残した食べ物や、金目の物を物色していたのです。
今川義元は、下衆のする行為だと怒りましたが、兵が居なくなっていて手遅れでした。
そこで、仕方なく本隊の兵を、中嶋砦の織田軍300の兵に対峙させることにしたのです。
こうして、中嶋砦にいた佐々隼人正(政次)率いる織田軍と今川軍が、火花を散らしました。
この中嶋砦の戦に今川軍は1000人以上の兵を出し、今川本隊が5000人程の軍勢だと信長は見立てます。
始め25000の大軍で尾張に侵攻したとのことでしたが、今川軍は分散され、今川義元の回りには5000人にまで減った計算になるのです。
今川本隊から兵を少しずつ引き離すことに成功した信長は、今こそ好機だと思いました。
信長は、義元が乗ってる輿を目印にし「狙うのは義元の首のみ」と号令すると、桶狭間に向かって進軍していきました。
急に激しい雨が降り、両陣営に叩き付けています。
鵜殿長照の命令を無視する松平元康
その頃、松平元康ら三河勢は鵜殿長照の出陣要請を無視し、大高城で腹ごしらえをしていました。
そこに鵜殿長照がやってきて、桶狭間に向かった織田軍を背後からつくように命じます。
先ほど鳴海城に出陣するよう命じたのに、今度は桶狭間、まるで駒のように使われる三河勢は嫌気を感じていました。
松平元康ら三河勢は、今日は一歩も動かないと強い態度を取った為、鵜殿長照は仕方なく立ち去りました。
松平元康は、幼少の頃、織田信長と将棋を指しながら、話したことを思い出していました。
幼い元康は、今川は敵であり、いつか討つべきとの考えを信長に話していたのです。
毛利新介が今川義元を討ち取る
場面は変わり馬で進軍する織田信長。
背後から打ち付ける激しい雨に、信長は勝機を見出していました。
岩山の陰から今川軍を確認した織田軍は、毛利新介(今井翼さん)の「かかれ、かかれー」の合図で襲撃します。
織田軍は今川義元を探しながら、敵を討ち果たしていきます。
一方、織田軍の襲撃に気が付いた今川義元は、輿をおりて近習に守られながら難を逃れようとしていました。
しかし、毛利新介に輿を発見され、直ぐに義元も見つかってしまいます。
今川軍は攻防し、義元を守ろうとしますが、織田軍と斬り合いになります。
義元自身も刀で応戦しますが、膝に槍が刺さり思うように動けなくなってしまいます。
そして槍を構えた毛利新介が、空中に高くジャンプし、着地するなり義元に最後の一撃を投じました。
織田軍が勝利に沸く頃、松平元康は駒(門脇麦さん)から貰ったお守りを見つめていました。
松平元康は大高城に留まり、桶狭間に向かわずに戦いを終えたのです。
毛利新介(良勝)は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った信長の家臣
帰蝶に母を重ねる信長
明智光秀は一人、清州城へ帰城途中の織田軍を待ち構えていました。
光秀に気が付いた信長は、水を所望して飲み終えると、勝利の喜びを伝え言葉を交わすのです。
そして「お見事でございました」という光秀の言葉に、褒めてくれるのかと嬉しそうな顔を信長はしました。
信長は、父も母も兄弟も誉めてくれず、寂しい想いをした過去を光秀に話します。
帰蝶なら誉めてくれとのではないかという光秀の言葉に、信長は嬉しそうな顔で、「帰蝶は何をしても誉める」、「あれは母親じゃ」と答えました。
母の愛情に飢えていた信長は、帰蝶に母親像を重ねていたのでした。
去って行く信長に、光秀は次は何をするつもりか問うと、帰蝶の里である美濃を平定したい旨を話ます。
その後のことも光秀は尋ねますが、答えずにニヤッと笑い去って行きました。
芳仁から薬の作り方を教わる駒
一方の望月東庵(堺正章さん)と駒。
今川義元が没した為、駿府での療治も潮時かもしれないと話をしていました。
松平元康から将棋を指したいと言われている東庵ですが、もう良いのではないかと思っていました。
松平元康は、今川家の人質として駿府に置かれていたので、もう帰って来ないかもしれません。
すると駒は、戦の終わった元康から文が届き、母・於大の方と再会できたという知らせをもらったことを話ます。
元康は16年ぶりに、母と再開できたのです。
織田信長は、今川方だった松平元康を許したようで、三河の岡崎城に帰還できたそうです。
その報告に東庵は喜び、心置きなく京へ戻ろうとすると、その前に会いたい人がいると駒が申し出ました。
お灸の治療の為、芳仁(ベンガルさん)の元へ駒が向かいました。
駒は京に帰る挨拶と、お灸の上手な人に診てもらえるよう頼んだ旨を伝えます。
駒に世話になり感謝している芳仁は、何でも効く薬・丸薬の作り方の書いた紙を手渡してくれました。
安い薬草を混ぜたもので、お金をかけず作れる薬で、駒にだけ教えると言います。
始めは遠慮した駒ですが、作れば皆が喜ぶと言われ、丸薬の作り方を教わったのです。
その頃、馬を走らせる光秀は、亡き主君・斎藤道三(利政)(本木雅弘さん)に、「大きな国」をつくるように言われたことを思い出していました。
麒麟がくる21話の感想
奇妙丸(信長の嫡男)を紹介された時の帰蝶は、目を大きく開いて無言という表現でした。
当時は側室がいて当たり前の時代ですが、やはり複雑な思いがあったのでしょうか。
自身は子を授かっていない悲しさ、信長が亡くなるかもしれない不安、隠し子と共に織田家を託された戸惑いなどを上手く表現していたと思いました。
そして、越前から光秀が駆け付けた時は、奇妙丸を膝に抱いていましたね。
「 天から降って来た宝じゃ」と光秀に紹介していましたが、帰蝶なりに気持ちの整理をしたのでしょうか。
信長はよく膝枕をしてもらっていますが、奇妙丸は膝に抱くという演出が面白く感じました。
桶狭間の戦いを終えた信長は、光秀に帰蝶のことを「母」だと言いました。
信長にとって帰蝶は、信頼できるパートナーであり、頼れる同士でもあったのかなと思いました。
そして帰蝶を喜ばせる為に、美濃を取りたいという信長。
結果だけ見ると、信長は帰蝶の実家と戦をし、斎藤氏は美濃を追われるわけですが、ドラマのように実家との仲は冷え切っていたのかもしれません。
帰蝶は、父や弟達を滅ぼした実家とは絶縁状態で、信長が美濃を取り戻したとも解釈できるなと思いました。
また、史実では、嫁いでからの帰蝶の記録が、殆どありません。
その為、帰蝶は嫁いで直ぐ亡くなった、事実上の正室は嫡男などを生んだ吉乃だなど、多くの憶測があります。
ドラマの中とはいえ、仲睦まじい姿を見れるのは、嬉しいなと思いました。
桶狭間の戦いを奇襲説ではなく、最近有力視されている正面から挑んだ説を採用していましたね。
今川本隊は大軍ではなくなっていたことは史実ですし、不明とされてきた佐々政次らの攻撃理由を、今川本隊の兵を減らす為という解釈はもっともらしくて良いですね。
桶狭間の戦いの勝因は、信長の賭けと、今川本隊を減らす信長の計算が功を奏したという描かれ方に納得です。
また、麒麟がくるでは今川義元がカッコ良く描かれていましたね。
今までは、白粉お歯黒という姿で、公家のように振るまう義元が多かったと思います。
そして、桶狭間の戦いでも悲鳴を上げて逃げたりしていましたね。
近年、義元の評価が見直されていることもあると思いますが、麒麟がくるで随分イメージが変わりました。
義元自ら刀を振るい、最後まで奮戦していて嬉しく思いました。
歴史上の敗者はカッコ悪く描かれるものですが、「海道一の弓取り」と恐れられた義元の実像は、武勇に優れた武将だったと思っています。
光秀は「大きな国」をつくれるのは、信長だと思って主従するという流れになりそうですね。
桶狭間の戦いで、一旦放送休止ですが、今後は近衛前久(本郷奏多さん)がどう描かれるか気になっています。
信長や光秀と仲の良い、やんちゃな関白、楽しみです。
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