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明智光秀、明智煕子(妻木煕子)、細川ガラシャ、濃姫(帰蝶)、織田信長、斎藤道三、石田三成、島左近、大谷吉継、福島正則、黒田長政、柴田勝家、前田利家の逸話
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明智光秀松永久秀は織田信長を裏切り茶釜と共に焼滅した!?
松永久秀は梟雄として知られていました。ですが、近年の研究では、主君・三好長慶を天下人に押し上げた功労者であるとする説があります。また、織田信長に恭順と裏切りを繰り返した末に、茶釜を抱いて焼滅した逸話も有名です。茶人としても優れていた松永... -
子孫細川ガラシャ(明智玉子)|細川忠興の妻でキリシタンとして生きた
明智光秀の娘として知られる細川ガラシャは、光秀の子供の中でも一番知られた存在ではないでしょうか。 気高く聡明で、戦国一の美女とも言われる一方、幽閉生活を強いられた後に、戦国の世とはいえあまりにも悲劇的な最期を迎えます。 誇り高く生きた細川ガラシャの人生や、夫・忠興についても記載しています。 -
明智光秀織田信忠はなぜ逃げなかったのか 本能寺の変までの生涯とは
織田信長から家督を譲られた織田信忠。本能寺の変の知らせを受け、二条新御所に籠って奮戦した後、自害しています。織田信忠は、明智軍からなぜ逃げなかったのか、その理由と信忠の生涯について書いています。【織田信忠の生母と幼名】弘治3年(1557年)、... -
明智光秀浅井長政は織田信長を裏切り朝倉義景に味方した北近江の戦国大名
浅井長政は、六角氏に従属する立場から北近江の大名に成長した人物です。そして、織田信長の妹・お市の方を娶り同盟関係を築くものの、朝倉義景との同盟を重んじ信長から離反。以降、織田信長と対立し、小谷城の戦いにて非業の最期を迎えます。【六角氏主... -
明智光秀お市の方|戦国一の美人で三姉妹の母、信長の妹として波乱の生涯を過ごす
織田信長の妹で、浅井長政と政略結婚したお市の方は、戦国一の美人と言われる位の美貌の持ち主としても知られています。お市の方は、兄・信長に攻められ、夫・長政を失いますが、長政の意向を汲んで三姉妹と共に生き延びました。その後、お市の方が政略結... -
明智光秀柴田勝家|織田信長に重用され、豊臣秀吉に敗れた猛将の生涯
柴田勝家は、信長の尾張一国時代からの宿将。しかし、最初は信長の弟・信勝を支持し、信長と対立していました。その後、信長の軍門に降り、武功を重ね織田家筆頭家老になります。本能寺の変後、明智光秀を成敗して勢いのあった豊臣秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗... -
明智光秀細川忠興は本能寺の変で光秀を拒み関ヶ原合戦では勇猛に戦った
細川忠興は、幽斎(藤孝)の子でガラシャ(玉子)の夫です。本能寺の変では、義父・明智光秀の協力を拒んだことでも知られています。織田、豊臣、徳川の世を渡り歩いた忠興は、関ヶ原合戦では勇猛に戦いました。この記事では、顔の傷は妹に付けられたという逸... -
明智光秀明智光忠は明智光秀の次女を娶り本能寺の変の相談もされた重臣
明智光忠は、一説には明智光秀の従兄弟であると云われています。 そして明智光秀の重臣でもあり、光秀が丹波を平定した際に、明智光忠は八上城を任されています。 明智光忠は光秀の信頼厚い人物であったようで、本能寺の変を起こす前に事前に打ち明けられた人物の一人であると云われています。 -
明智光秀妻木煕子| 明智光秀の妻の生涯~逸話から愛妻家説を検証する~
明智光秀の妻の名は、妻木 煕子(つまき ひろこ)または明智 煕子(あけち ひろこ)とされています。明智光秀の妻は謎に包まれていますが、妻の生涯、疱瘡(ほうそう)や黒髪の逸話、『兼見卿記』に見る光秀の妻の享年について記載しています。 -
明智光秀明智光秀のエピソード~愛宕百韻の連歌会、おみくじ、鉄砲など~
明智光秀は謎の多い武将ですので、エピソードは多くありませんが、いくつか伝わっていますので紹介させていただきます。光秀と大黒天(大黒様)のエピソード, 光秀と鉄砲のエピソード, 光秀が足利義昭に暇乞いを願いでたエピソード, 光秀の連歌 愛宕百韻のエピソードについて記載しています。
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