濃姫(帰蝶)に縁深い美濃国・岐阜県に、濃姫(帰蝶)のお墓との伝承がある「濃姫遺髪塚」があります。

濃姫(帰蝶)のお墓は、戦火に遭い墓石が焼失してしまいますが、地元の方々に大切に守られてきました。

またお墓のある西野不動には、濃姫が美人に描かれた肖像画もあるといわれています。

西野不動の「濃姫遺髪塚」について記載しています。

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濃姫(帰蝶)とは

まず濃姫(のうひめ)とは、どのような人物かを書かせていただきます

濃姫(のうひめ)は、戦国時代の重要な女性の一人とも言えるのではないでしょうか。

織田信長の正室として有名ですが、父は下剋上で知られる斎藤道三(どうざん)です。

また、一説には明智光秀の従兄妹であるとする説もあります。

濃姫と呼ばれる所以は、美濃からきた姫から名づけられており、本当の名前は帰蝶(きちょう)であるとも、帰蝶でもないけれど本名も分からないとも云われています。

あの信長の正室でありながら、濃姫(帰蝶)は信長に輿入れした後の記録が殆どありません。

当時としては、女性の記録がないのは普通のことだそうですが、真実がわからず、結婚後直ぐに亡くなったのではないか、離縁されたのではないかという説まであります。

最近では、信長が亡くなった後も生きたのではないかとする説が優勢かもしれません。

中には信長が亡くなってから、約30年も生きたとする説もあります。

また濃姫(帰蝶)といえば、本能寺の変で薙刀(なぎなた)を振るい、信長と共に戦い亡くなる場面を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうか。

この話は、物語やドラマなど創作の話とのことで、濃姫(帰蝶)が本能寺に居たとする史料は確認されたことはないそうです。

そのような中ですが、濃姫(帰蝶)とゆかりのある岐阜の地には、本能寺の変の時に亡くなったとする伝承があるそうです。

その伝承がある「濃姫遺髪塚」をご紹介します。

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濃姫(帰蝶)のお墓「濃姫遺髪塚」

「濃姫遺髪塚」があるのは、岐阜県の西野不動(にしのふどうそん)です。

西野不動の由来は、岐阜の城下町四方に伊奈波善光寺、西野不動、小熊の地蔵、美江寺の観音という四天王があり、城下町を守っていたそうで、西野不動はその一つとのことです。

当時より「の」の字が一つ減ったようですね。

 

 

西野不動尊

西野不動尊

 

濃姫(帰蝶)は謎の多い女性で、お墓も戒名も特定されていませんが、「濃姫遺髪塚」は濃姫(帰蝶)のお墓との伝承があるそうです。

西野不動には、本能寺の変で信長と共に戦い、亡くなった濃姫の遺髪が埋葬されたそうです。

そして、家臣の一人が濃姫(帰蝶)の遺髪を持って、逃げ延びこの地に埋葬したと伝わります。

その家臣の名前は不明とされています。

濃姫のお墓の由来が書かれている看板

濃姫(帰蝶)のお墓の説明

 

 

そして後の、昭和20年B29の空襲によって墓石が焼失してしまい、昭和50年に濃姫(帰蝶)のお墓の碑文が見つかったそうです。

昭和51年に、有志の方々で再建し今日に至るそうです。

寛文5年乙巳(1665年)と記されており、江戸時代のものであったことがわかります。

濃姫遺髪塚の碑石

濃姫(帰蝶)遺髪塚の碑石

 

「濃姫遺髪塚」は、境内にあるムクノキの傍にがありますが、今でもお花が絶えないそうで、碑石も綺麗にされていて地元の方に大切にされているのが伝わってきます。

また、周りは住宅街でヒッソリとした雰囲気です。

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美人に描かれた濃姫(帰蝶)

お堂の中には濃姫の肖像画があるそうです。

昭和に描かれたものなのですが、色白でとても美人に描かれているようです。

今までドラマで、濃姫(帰蝶)を演じてきた女優さんたちは、柴咲コウさん、内田有紀さん、小雪さん、観月ありささん、和久井映見さん、菊川怜さん、中谷美紀さんなどです。

本当のお顔はわかりませんが、濃姫(帰蝶)の銅像も美人ですし、美人なイメージがあるのかもしれないと思います。

濃姫(帰蝶)

濃姫(帰蝶)

 

 

「濃姫遺髪塚」へのアクセス

住所:岐阜県岐阜市 西野不動尊

最寄りの名鉄岐阜駅から歩いて33分かかるそうなので、車がおススメです。

 

 

濃姫(帰蝶)が輿入れした後、断定はできないものの、濃姫(帰蝶)のことではないかとされる記録は見つかっています。

その記録については、別の記事に濃姫(帰蝶)の生涯や逸話と共にまとめています。

濃姫(帰蝶)の名で知られる信長の正室の生涯と逸話