麒麟がくる26話のあらすじ、感想記事です。
元服を果たした足利義昭一行は、朝倉義景に上洛を期待しますが、朝倉景鏡など異を唱える者もいて朝倉家中は一枚岩ではありませんでした。
明智光秀の進言により、足利義昭一行は、織田信長を頼り上洛する決意をします。
怒り心頭する朝倉義景を抑える為、三淵藤英らが謀を企てる回です。
足利義栄が14代将軍に就任する
足利義輝(向井理さん)が亡くなって2年以上経った永禄11年(1568年)、ようやく14代将軍に足利義栄(一ノ瀬颯さん)が就任しました。
しかし、足利義栄は重い病を抱えていて、摂津富田(とんだ)にある普門寺(ふもんじ)に留まり京に入っていませんでした。
将軍不在の京を治めていたのは、足利義輝を滅ぼし、足利義栄を将軍に担いだ三好一族です。
畿内の実力者であった亡き三好長慶(山路和弘さん)に代わり、京を手中に収めているのです。
朝廷では、足利義栄が上洛しない理由は何故か、という話になっていて、足利義栄が重病のためとも、三好一族の操り人形になるのを避けているとも噂されています。
朝廷で批判を浴びる近衛前久
就任早々、将軍不在という状況になり、三好一族に脅されて足利義栄を将軍に推挙した近衛前久(本郷奏多さん)は、朝廷で批判を浴びることになってしまいます。
更に、三好一族は、将軍任官を願い出る際に渡す礼金が足りず、質の悪い銭を差し出しており、その非難の矛先も前久に向いている状況です。
この事態を招いた近衛前久が、関白職に留まって良いのかという声まで上がり、二条晴良(小藪千豊さん)から糾弾され、窮地に立たされたのです。
その後、近衛前久が御所を退出し、ため息をつきながら輿に乗っていると、御所の塀の前で伊呂波太夫(尾野真千子さん)に出くわします。
伊呂波太夫は、天皇が住む御所の塀が崩れていることを気に掛け、天皇の威光に関わると前久に修繕を迫るのです。
しかし、朝廷に塀を修繕する費用がありません。
伊呂波太夫は、お金なら集めてみせると豪語すると、近衛前久は輿から降りて、苦しい立場に追い込まれた現状を伊呂波太夫に訴えます。
近衛前久のライバルは二条晴良
また前久は、ライバルの公家・二条晴良のことも気になっていました。
足利義輝の弟・義昭(元服するまでは義秋の字を使っています)(滝藤賢一さん)は、越前に身を寄せながら、将軍になる機会を待っています。
足利義輝存命中は、義昭は出家していた為、元服をしていませんでした。
義昭は、将軍になる為に必要な元服の儀をする為の申請をしており、二条晴良の取次により、天皇が承認していたのです。
二条家は近衛家と同じ公家の頂点に立つ家格ですが、関白職は近衛家に長年独占されていました。
それを快く思っていない二条晴良が、次期将軍擁立に携わることで、近衛家を見返そうとしているのではないかと近衛前久は考えていました。
そんな前久に越前に下向し、義昭の元服許可を伝えるよう勅命が下されていましたが、気が進まず伊呂波太夫に代理を頼み込みます。
京の美しい景色を取り戻したい伊呂波太夫は、越前行きを引き受ける代わりに、御所の塀の修繕費をねだるのです。
元服し上洛を見据える義昭一行
同年4月、二条晴良、足利義昭を越前一乗谷に招き、義昭はついに元服を果たして、武士になりました。
足利義昭の烏帽子親は、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)が務めています。
これで、晴れて将軍になる資格を得た義昭ですが、共に上洛してくれる大名を求めています。
一方の明智光秀(十兵衛)(長谷川博己さん)は、明智左馬助(間宮祥太朗さん)と共に上洛できそうな大名について話合っています。
義昭一行が期待していた上杉謙信は、ライバルの武田信玄に寝返った重臣を討つ為の戦で、忙しくしています。
かつて、足利義輝に味方した六角承禎(六角義賢)は、信長に敗れた斎藤龍興を匿い、敵である三好一族とも通じているとの噂があり期待できません。
大和の松永久秀(吉田鋼太郎さん)は、三好家の内紛により交戦中です。
そのような状況により、上洛に手を貸してくれそうな戦国大名は、義景と信長に絞られていたのです。
左馬助は上洛できるのだろうかという疑問を光秀に投げかけます。
光秀は、三淵藤英(谷原章介さん)や細川藤孝(眞島秀和さん)は、義景と信長(染谷将太さん)の協力が得られれば、三好と戦えると見立てていて、朝廷もそのつもりであると言いますが、光秀は疑いを持っている様子です。
朝倉景鏡が上洛に異を唱える
そこへ、義景の家老・山崎吉家(榎木孝明さん)がやってきて、翌々日に義昭の元服を祝う宴会を催すので、光秀にも参加して欲しいと告げます。
光秀の胸にとどめて欲しいと前置きし、朝倉家家中の全員が、義昭の上洛に付き従いたいわけでないと言い添えます。
そのことを念頭に置いて宴に参加して欲しと言い、誰しも余計な戦はゴメンだと、意味ありげに笑いました。
明智光秀は、朝倉館に行く途中、一乗谷の市にある鍛冶屋の前で足を止めます。
閑散とした店内の様子が気になった光秀は、店主に尋ねます。
すると、余りにも暇なので、職人達が畑仕事に戻ってしまったのだと言います。
戦があれば槍や矢尻(突き刺さる部分)が売れるのに、当分、戦の気配がなく、商売にならないと店主がボヤキます。
場面は変わり、朝倉館で宴会が催されます。
宴の席で義景は、義昭の烏帽子親になったのも、義昭を奉じて上洛をする決意をしたことも、嫡男・阿君丸(くまぎみまる)(森優理斗くん)が背中を押してくれたおかげと上機嫌です。
一方の光秀は、末席で黙々とお酒を飲んでいます。
そこで、義景の従兄弟・朝倉景鏡(手塚とおるさん)は、義昭の元服を祝福しつつも、元服と上洛は別の話であると疑問を投じるのです。
朝倉義景は、義昭が元服し上洛した際は、将軍職を授けるという内意を天皇から賜っている為、元服と上洛は一つであると意見します。
しかし、朝倉景鏡は、上洛するということは、三好一族と戦をするのと同じであると反論するのです。
すると義景は、上杉謙信(輝虎)、織田信長、六角承禎と共に上洛すれば、三好一族など一日で片付くと楽観視しているようです。
朝倉景鏡は、武田と戦をしている上杉は期待できず、六角は三好と通じているので敵と見た方が良いと忠告します。
朝倉景鏡は、山崎吉家から近隣諸国の情勢に詳しいと聞いていた為、光秀に意見を求めるのです。
光秀は義景から正直に意見するよう促され、朝倉景鏡の意見に同調し、景鏡の見解を補足しつつ持論を話ます。
それより気になることがあると光秀は言い、越前一乗谷の市で見た物資が有り余る状況について言及します。
これから戦をする国では、武士や将兵が武器や食料を買う為、物が無くなるはずなのに、一乗谷ではその気配はありませんでした。
義景が出陣するつもりでも、皆が動かなければ、戦はできないため、上洛戦をするのは難しいとの見立てを述べます。
光秀の指摘は的確であり、義景のやる気を削ぎかねません。
そこで三淵藤英は、義景が挙兵すれば、諸大名も動くはずであると言い、義景の気持ちを盛り上げます。
藤英の気働きにより、宴会の雰囲気が戻り、義景は上洛の前祝いにと伊呂波太夫に舞を踊るよう申し付けます。
伊呂波太夫は笑顔で応じ、義景に伴奏として小唄を依頼しました。
信長という舟に乗るよう助言する太夫
その後、光秀が宴会の席を外すと、伊呂波太夫が追ってきました。
伊呂波太夫は、義景は越前で和歌などを詠んでいるのが良く合う人物だと思っていて、幕府を支える器では無いと言います。
そして伊呂波太夫は、上洛を段取り良く進められるのは、光秀しかいないのではないかと問いかけます。
光秀は、足利義輝や斎藤道三(本木雅弘さん)なども傍に置きたいと思っていた人物であると、伊呂波太夫は知っています。
越前で約10年間も寺子屋の師匠に甘んじていた光秀ですが、船出の潮時だと伊呂波太夫に促されます。
すると光秀は、乗る舟が見つからないと答えますが、伊呂波太夫は信長という舟しかないと自信を持って言います。
伊呂波太夫は、「光秀が考えて信長が動けば適うものはない」という帰蝶(川口春奈さん)の言葉も添えます。
織田信長と船出する決意をする光秀
数日後、決意した光秀は、織田信長に会いに美濃の稲葉山城に向かい、単独で足利義昭を奉じて上洛するよう進言します。
美濃から京へ上る際に、南近江の六角氏との交戦が予想されますが、信長の所領である尾張と美濃の軍勢だけでも勝つ見込みはあると光秀は見立てます。
三好勢も松永久秀と大和で戦の最中であり、京の手勢は手薄になっていました。
今こそ好機であると、光秀は信長に訴えます。
光秀に促された信長は、京に上り舅・斎藤道三の言う大きな国をつくる決心をします。
そして信長は、義昭を美濃へ連れてくるよう命じるのです。
足利義昭一行の決定に憤慨する義景
明智光秀は、足利義昭、三淵藤英、細川藤孝らに、織田信長と上洛する為に美濃へ来て欲しいと願い出ます。
上洛を決意したばかりの朝倉義景を思い、三淵藤英、細川藤孝は困惑しますが、足利義昭が光秀を信じると言い、美濃へ出立することになります。
光秀の進言で、足利義昭一行が織田信長を頼ることになったと朝倉義景が知れば、光秀の家族も越前に居ずらくなると光秀は案じます。
そこで光秀は、煕子にお岸、たまを連れて美濃へ身を寄せるように言います。
上洛する光秀と別で暮らすことになる煕子ですが、光秀が上洛のお供をすることを喜んでくれ、光秀は良い妻を持ったと感じ入っていました。
二日後、細川藤孝が持参したという義昭直筆書状が朝倉義景に届けられます。
足利義昭一行が朝倉義景に見切りをつけて、成り上がり者の織田信長を頼ることに義景は怒りを露にします。
国境に兵を派兵し、足利義昭一行の行く手を塞ぐよう山崎吉家に命じます。
三淵藤英、山崎吉家、朝倉景鏡の謀
その夜、三淵藤英と朝倉景鏡、山崎吉家が密談をします。
越前では一向一揆が起き、朝倉景鏡は鎮圧に疲弊し、上洛より先に越前国を鎮める方が先であると嘆きます。
朝倉家家臣の負担になる上洛は、山崎吉家も望んではいません。
朝倉家に無理を敷いてまで、共に上洛して欲しいと思わないと三淵藤英は言い、お互いの行く末の為、知恵を出し合えればと何か企んだ顔で提案します。
翌日、朝倉屋敷では、食事の毒見をした女中が汁物を飲むと、もがき苦しみ息絶えました。
毒を盛ったのは、山崎吉家の指示を受けたと見られる別の女中です。
毒入りの汁物は、朝倉義景の嫡男・阿君丸の口に入り、阿君丸も絶命してしまいます。
阿君丸の変わり果てた姿を見た義景は、嘆き悲しみます。
阿君丸を失い失意の義景
一カ月後、悲しみの余り抜け殻のようになった義景の元に、美濃に出立する前に挨拶したいとう三淵藤英がやってきました。
足利義昭にも阿君丸を弔ってもらったことで、面目を果たしたと思っていた朝倉義景は、お礼を伝えます。
嫡男を失った朝倉義景自身も、上洛できる状態ではないと感じていて、やむを得ないと思っています。
ただ、新興勢力の織田信長が足利義昭を奉じて上洛することは、気に入らないと思い、見物であると嫌みを言い去って行きました。
一方の明智光秀は、細川藤孝と共に越前を去るところです。
煕子と子供たちは、後から光秀の元へ来るようです。
光秀は朝倉義景に挨拶がしたいと山崎吉家に願いましたが、義景は憔悴しているため止められ、そのまま旅立つことになりました。
阿君丸を失った朝倉義景の心情を、光秀と藤孝はおもんばかり、自身の子供達に思いを巡らせます。
その後、左馬助に家族を任せた光秀、足利義昭一行は美濃へ向かいます。
麒麟がくる26話の感想
麒麟がくる26話では、小籔千豊さん演じる公家の二条晴良が登場しました。
「上品にネチネチいじめたい」と仰っていましたが、ねちこっさを全面に出した演技、違和感なく見れました。
近衛前久と対立することなど、詳しく描く時間はないかもしれませんが、味のある公家同士の対立も面白そうで見てみたいなと思いました。
26話は足利義昭の上洛に関する大切な回になりました。
今のところ麒麟がくるでは、明智光秀が支えいと思ったのは、織田信長では無く、足利義輝、足利義昭だったということになっています。
このまま、足利義昭を慕う光秀であれば、義昭が本能寺の変の原因となるのでしょうか。
史実通りであれば、後に、光秀は義昭ではなく信長を選びますので、義昭を慕い続けるという設定は難しいような気がしますが。
主人公の妻でありながら、存在感の薄い煕子が気になっていましたが、26話は煕子の良さが際立っていましたね。
25話では「子供達にとっては越前が故郷」と言っていたのに、26話では「ようやく光秀の故郷を見せてやることができる」と言っていました。
光秀の決意を知り、光秀に寄り添い支えていく、良妻賢母の妻を上手く演出していたと思います。
26話のタイトル「三淵の奸計」から察しはつきましたが、三淵藤英が腹黒くで驚きました…。
腹黒い兄・三淵藤英と、誠実そうな弟・細川藤孝が対照的に思いました。
三淵藤英は、もっと脇役で終了かと思っていましたが、後々因果が巡ってくることを暗示しているように感じました。
史実上の阿君丸は6歳(享年7歳)で亡くなっていて、毒を盛られたという説があり、跡目争いから朝倉一族の誰かの企てではないかとも云われています。
そう考えると、朝倉景鏡が謀に関与しているのは、違和感のない展開かもしれません。
史実上の山崎吉家は、落ちぶれていく朝倉家を見限る家臣が続出する中、最後まで付き従い、戦で命を落とした人物です。
ブラックなイメージが無かったので、密会の席で姿を見た時は驚きました。
朝倉義景が政務に無気力になったのは、阿君丸が亡くなってからと云われていますし、実際に山崎吉家が関与していたとは考えにくいと思いますが、
これも大河ドラマのフィクションの面白さかなと思います。
大人の身勝手な理由により、命を奪われた阿君丸、戦国の世とはいえ冷酷ですし、女中もグルとか、誰も信じられない時代は怖いですね。
朝倉義景は、恩を仇で返され、それを知らずに三淵藤英にお礼まで伝えるという…。
阿君丸は居ないのに、チュー太郎(本名は忠太郎)は戻っていて、より義景の辛さが伝わってきました。
それにしても、ユースケ・サンタマリアさんの朝倉義景は、存在感があって、何を考えているかわからない所の演出などもハマり役に思います。
敵視する織田信長が、成り上がって行く様を見て、どう変貌していくのか楽しみにしています。
山崎吉家は志賀の陣、刀根坂の戦いで勇戦した朝倉義景の家臣 朝倉景鏡は朝倉義景を裏切り滅亡に追い込んだ一門衆筆頭 参考・引用・出典一覧 戦国時代ランキング
コメント
コメント一覧 (3件)
こんばんは、鷲谷です!
この回のエピソードはどれも面白かったですが、近衛前久と二条晴良の対立が描かれたのは面白かったなと思いました。
戦国時代の創作は、やはり華々しい武将たちのエピソードが取り上げられることが多いので、こういった裏側の描写って大事だなと思いました。
実際彼らの大名への影響力は決して弱いものではなかったようですしね。
秀吉なんかも対摂関家政策で苦労したようですし。
(残念ながら『麒麟』ではそこまで描かれないとは思いますが)
こんにちは。
コメントありがとうございます。
近衛前久と二条晴良の対立場面、面白かったですね。
麒麟がくるでは公家にもスポットが当たり、当時の朝廷の様子がイメージしやすいなと思いました。
近衛前久は、信長だけでなく光秀とも交流があったようなので、どこまで掘り下げて描かれるか楽しみです。
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