石田三成の埼玉県の観光スポットである忍城(おしじょう)、丸墓山(まるはかやま)古墳、石田堤(いしだづつみ)史跡公園のご紹介をさせていただきます。

 

忍城

忍城

忍城

 

忍城を舞台とした小説「のぼうの城」が映画化され、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、豊臣秀吉の小田原征伐の一環として石田三成が水攻めをした城として知られています。

日本三大水攻めのひとつに数えられていて、たったの5日(1週間とする説もあります)で長さ28キロメートル(一説には14キメートル)の堤を築いたと伝わります。

利根川と荒川の水を引き入れるという作戦は、堤が決壊したことにより、石田方(豊臣方)に270名の死者を出して失敗に終わります。

忍城は、城がなかなか沈まないことから、「浮き城」とも言われ、見事に戦国の世を生き抜きました。

その後、明治維新により廃城となり壊されましたが、忍城本丸跡には御三階櫓(おさんがいやぐら/ごさんがいやぐら)が再建され、行田市郷土博物館が併設され行田の歴史と文化を紹介しています。

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郷土博物館見学の時間・休館日・料金

開館時間:9時~16時30分 ※入館16時まで

休館日:月曜日(祝日・休日は開館)、祝祭日の翌日(土・日は開館)毎月第4金曜日(テーマ展・企画展開催中は開館)、年末年始

料金:大人200円、高大生100円、小中生50円

※20名以上で団体料金大人160、高大生80円、小中生40円になります。

又、学校の教育課程関係の方、障害者手帳をお持ちの方、介護者1名は入館料免除になります。

手続きが必要な場合がありますのでお問合わせください。

 

 

お問い合わせ・アクセス

電話番号:048-556-1111

住所:埼玉県行田市本丸17-23

公共交通:路線バス「忍城」停留所、「忍城祉・郷土博物館前」停留所など

車:国道125号沿い

 

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さきたま古墳公園

さきたま古墳公園は、忍城の戦いの本陣である丸墓山古墳(まるはかやま)と石田堤が残されています。

下の写真は丸墓山古墳ですが、ここの頂上に忍城の戦いの本陣が張られたそうです。

丸墓山古墳

丸墓山古墳

丸墓山古墳の説明看板によると日本一大きな円墳(ウィキペディアによると円墳では全国2位)とのことです。

いぜれにせよ、大きな円墳であることには間違えなく、頂上からは行田市内の見応えがあります。

又、この日は晴れていましたので忍城も見えます。

 

丸墓山古墳の説明

丸墓山古墳の説明

 

石田堤

写真は丸墓山古墳につながる道ですが、ここは石田堤の名残とのことです。

石田堤は堤防が残っているわけでもなく、わかりずらいですが、地面が少し高くなっています。

石田堤

石田堤

三成は近辺の農民などに金銭とお米を与えて堤を作ったとされています。

昼には銭60文と米1升(1しょう)(10合が1升)、夜には銭100文と米1升を与えたとされ、当時としては破格の待遇だったようです。

その甲斐あってか、28キロメートルの石田堤をわずか5日というスピードで作りあげました。

石田堤の説明

石田堤の説明

 

 

 

石田三成のゆかりではありませんが、さきたま古墳公園には、二子山古墳(ふたごやまこふん)や前方後円墳などの古墳、延喜式内社前玉(えんぎしきないしゃさきたま)神社、忍藩主松平家の菩提寺の天祥寺(てんしょうじ)などがあります。

国宝展示室、企画展示室内、将軍山古墳展示館などがある博物館もり、一部を除き写真撮影もできるそうです。

 

開館時間・休館日

 

開館時間:午前9時~16時30分(入館受付は16時まで)

※7月1日~8月31日 午前9時~17時(入館受付は16時30分まで)

休館日:月曜日(祝日、振替休日、埼玉県民の日は営業)、12月29日~1月3日

※その他臨時に休館有

 

 

観覧料

一般200円、高校生、学生100円

20人以上の団体:一般120円、高校生、学生60円

※中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方と付き添い1名は無料です。

 

住所・連絡先

〒361-0025
埼玉県行田市埼玉4834

TEL: 048-559-1111(代表)

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石田堤史跡公園

石田堤史跡公園では石田堤を修復しているそうです。

修復前の調査で石田堤の規模は高さ約3.2m、幅員は19m以上あったことが確認されています。

 

新幹線高架下

石田堤史跡公園近くの新幹線高架下には、当時の書状(朱印状)見本やイラスト付きの説明があります。

正直、石田堤だけですとわかりずらく、通りすぎてしまうかもしれません。

ここで予備知識を付けて石田堤を見る方が個人的にはおススメです。

水攻めの絵

水攻めを決行している絵

 

下の朱印状について記載されていた解説を引用で記します。

この朱印状には「水責の普請を油断なく行うように」「浅野弾正(長吉)・真田(昌幸か)の両方を遣わすのでよく相談するように」「普請ができたら使者を派遣して見にいかせる」といった内容が記されています。

年代や場所については何も書かれていませんが、石田治部少輔(三成)宛てであり、内容からも天正十八年(1590年)の忍城の水攻めに関する資料とみなされます。「六月廿日」の日付も水攻めと符合します。

浅野長吉とは浅野長政(あさの ながまさ)のことです。

 

書状

書状

 

下の朱印状について記載されていた解説を引用で記します。

この文章は、天正十八年(1590年)六月十二日に、豊臣秀吉が忍城(現行行田市本丸)攻めの石田治部少輔三成にその対策を申し付けた朱印状である。これによれば、秀吉は三成が忍城を水攻めにするとの意を受け、この戦法による城内の混乱と、城周辺荒廃化を憂慮し、足弱(婦女子・老人らの弱者)以下をまず端城(周辺の城)へ人質として移送し、鹿垣をめぐらした場所に留置することを命じている。

なお、「小田原一運之間者、扶持方可申付候」とあるように、小田原城落城迄の間の人質保護を申し付けている。

また、「其方非可被成御疑候間、別奉行行不及被遣之候」とあるように、三成が忍城攻めの総責任者から外されるという不安を抱いていたことが窺え、これを秀吉自身が打ち消している点が興味深い。

なお、水攻めに係る築堤(石田堤)の工事は、本文書が出された翌々日の十四日には着工されている。

 

書状

書状

新幹線高架下では、録音ですがナレーターの方が、忍城の戦いの様子を説明してくれています。

一部しか記憶できませんでしたが、利根川、荒川から水を引き入れ水攻めを決行したのに、忍城が落ちないという場面での三成の言動です。

「(三成は)この城は浮(う)くのだとありもしないことを言い出す始末。手も足も出ない石田軍は天は我々に見方しているのだ…。」

記憶できたのはここまでですが、この後は三成は天は我々に見方していると言っていたけれど、石田堤が決壊し、濁流は石田軍(豊臣軍)に襲い掛かり死者を出してしまったという内容でした。

 

忍城の戦いの記事で記載しましたが、水攻めは秀吉の政治的なパフォーマンスであり、三成は水攻めでは落とせないことがわかっていて反対してたことが近年の研究でわかってきました。

(以前からそう言われていましたが、最近ようやく認められてきました。当時の書状からそうとしか読み取れません。)

 

石田三成の忍城の戦いの詳細は別で記事にしています。
👇
石田三成と忍城の戦いから三成の戦下手を検証する

 

 

ここの音声解説は、江戸時代の軍記物を現代語になおして、そのまま音声にしたような印象です。

全文がないと伝わりにくいと思いますが、三成をあえて蔑むような表現を使って解説しているところに悪意を感じたのは私だけでしょうか…。

歴史上の解釈は一つでないこともありますし、この説明でも仕方ないと思うことにして後を去りました。

 

石田堤

又、新幹線高架下の近くに石田堤を利用した石田堤史跡公園があります。

普通すぎるこの公園は鴻巣市(こうのすし)ですが、川を挟んだすぐそばは行田市(ぎょうだし)です。

公園を出て堀切橋を渡ると行田市側の石田堤があります。

この堀切橋が堤防が決壊した部分だと伝わるそうです。

橋を渡ってすぐにある松並木通りが石田堤ですが、何の変りもない生活道路になっていて、この案内看板がないと気がつかないかもしれません…。

体感ですが、忍城から7キロメートル位ありそうに感じました。

石田堤は元の自然の地形を利用し作られたようですが、それでも5日で作れたことに驚きます。

 

 

石田堤

石田堤

 

石田堤史跡公園のアクセス

埼玉県鴻巣市袋字台326-1
駐車場:有(無料)

電車:高崎線 吹上駅 約2.4km、高崎線 北鴻巣駅 約2.4km
車:東北自動車道 羽生I.C 約15.3km、関越自動車道 東松山I.C 約16.0km

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