岐阜県恵那市明智町、明智光秀の出生地とも云われており、光秀ゆかりの史跡が数多く残る場所でもあります。
今回は、明智光秀が若い頃勉強した場所と伝わる「学問所」と学問所がある「天神神社」に行ってきました。
天神神社にある光秀の学問所
明知遠山氏の居城であった明知城跡の山の麓(ふもと)、若いころの明智光秀が学問を学んだとする学問所が残されています。
この明知遠山氏とは、光秀とは別の氏族とする説が通説ですが、異説として光秀の叔父の家系であるとも云われています。
学問所と天神神社(てんじんじんじゃ)のある恵那市は、明知遠山氏ゆかりの地ですが、光秀の出生地とする説もあります。
光秀の出生地かどうかは定かではありませんが、光秀ゆかりの場所が多く残されており、天神神社の学問所もその一つです。
また、天神神社は万ヶ洞にあることから万ヶ洞天神神社とも呼ばれているそうです。
また、上の写真の「万ヶ洞天神神社の由来」という説明書によると、祭神はあの有名な平安時代の貴族・菅原道真(すがわら の みちざね)であります。
京都の天満宮からの分祀(ぶんし)(本社と同じ祭神を祀っている)とされていています。
後に学問の神として信仰を集めたようですが、光秀が若い頃、京都嵯峨天竜寺(さがてんりゅうじ)の雲水・勝恵という学僧を招いて学んだ場所とも伝えてられています。
明智光秀の学問所と天神神社を見た感想
上の「万ヶ洞天神神社の由来」にもあるように天神神社周辺には、光秀の産湯の井戸、光秀の母のお墓、光秀の直垂など光秀ゆかりの場所や物が残されています。
天神神社のある恵那市には、光秀の誕生を記した旗がいたるところにあります。
光秀出生の地は、恵那市の他に岐阜県可児市、岐阜県山県市などもあります。
光秀ゆかりの史跡は恵那市が一番残っていますが、色々調べると、岐阜県可児市説が有力ではないかと思います。
日本に後付けの史跡は結構あると思います…。
光秀の母のお墓が気にんありますが…。
この時代の人のお墓は沢山あったりしますが、光秀の母のお墓は現在わかる範囲では一つしか無いようです。
なので、唯一のお墓が何故恵那市に…?とは思いますが、他はどうにも後付けに思えてしまいますね…。
また、ツイッターの情報ですが、明智光秀の学問所に枝垂れ桜があるそうです。
春に入ったら綺麗かもしれませんね。
天神神社・学問所へのアクセス
拝観料:無料
見学・所要時間:10分
電話:0573-43-2112
住所:〒509-7731 岐阜県恵那市明智町万ヶ洞
駐車場:有り
明智駅から徒歩で15分
※電話番号は天神神社ではなく、恵那市教育委員会につながるそうです。
「万ヶ洞天神神社の由来」の説明板にある光秀の供養塔、光秀の直垂を縫い込んだ袈裟(けさ)などがある龍護寺に行った記事はこちらです。
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明智町にある龍護寺~明智光秀の御霊廟(供養塔)と遠山氏について~
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