明知遠山家の菩提寺である龍護寺では、明知遠山家累代の墓所、明智光秀の御霊廟(供養塔)、出生の碑石、光秀のものと伝わる直垂などがあります。
何故、明知遠山家の菩提寺である龍護寺に、光秀の供養塔や直垂があるのでしょうか。
龍護寺と光秀について、また光秀と明知遠山家との関係も記しています。
明智町の龍護寺と光秀
龍護寺(りゅうごじ)という名前のお寺は6つありますが、今回は恵那市明智町にある龍護寺について記しています。
龍護寺は、いつ建立されたのか不明ですが、大永元(1521)年には柏庭和上が住んでいて楞厳院という名前であったそうです。
慶長元(1596)年に明智城主であった遠山利景(とおやま としかげ)によって、龍護寺という名に改められたと云われています。
遠山利景は、戦国時代から江戸時代にかけての武将で、江戸幕府の旗本となった人物です。
以来、代々明知遠山家の菩薩寺となっており、臨済宗妙心寺派とされています。
龍護寺には、明智光秀の御霊廟(供養塔)、光秀の出生地の碑、明知遠山家累代の墓、光秀と明知遠山家の関係を説明した説明板などがあります。
また、光秀のものと伝わる直垂もあり、九条衣という袈裟(僧侶が身に着ける衣類)の四隅に光秀の直垂の布を縫い込んだものが、寺宝として伝来しているそうです。
直垂が伝来した所以は、とある日に現れた落ち武者が、無念の最期を遂げた光秀の直垂を持ち、永代供養を願ったとされているそうです。
直垂を拝見することはできませんでしたが、毎年行われている光秀の祭りの日に一般公開されているそうです。
明知遠山家累代の墓
龍護寺は明知城のあった山の麓にあり、斜面の上に建っています。
本堂に入って左手に進むと、明知遠山家の歴代の墓が並んでいます。
また、このお墓の中に時代劇の「遠山の金さん」で有名な、江戸町奉行・遠山景元、通称・金四郎のお墓もあります。
分家筋とのことですが、遠山の金さんも明知遠山家の方だったようですね。
明知遠山家累代の墓の説明板には遠山景行から景珍までの墓があることが記してあります。
遠山景行は、明知遠山家の当主で、龍護寺という名に改名した遠山利景の父です。
遠山景珍とは明知遠山家の当主で、江戸時代後期である1828年に没した人物のようです。
明智光秀の御霊廟(供養塔)
龍護寺の駐車場側の入口右手には、明智光秀の御霊廟(供養塔)もあります。
看板が大きいので目立ちますし、直ぐわかりました。
また、光秀の供養の碑石は光秀の「悲痛な想い」で割れているそうです。(ヒビが入っているそうです)
割れている石碑は見つけられませんでしたので、普段は公開されていない?かもしれません。
光秀の肖像画のコピーと光秀の桔梗紋もあります。
そして、下の写真にある「明智光秀出生地」の石碑もありました。
明智光秀の出生地は諸説ありますが、岐阜県恵那市(えなし)も候補の一つとされています。
龍護寺の後ろにある山は明知城の跡地ですが、明知城の支城とされる落合砦(千畳敷砦)には、光秀の産湯の井戸も残されています。
明知遠山氏と光秀の関係
明知遠山氏の菩提寺に何故、光秀の供養塔など光秀にまつわる物が多いのでしょうか、光秀の明智氏と同族なのか気になるところではないでしょうか。
明知遠山氏と光秀の明智土岐氏とは、親戚の可能性は否定できないものの、別の氏族とされています。
下の写真は龍護寺にある明知遠山氏と光秀の関係図です。
ウィキペディアでは「明知遠山」氏になっていますが、龍護寺の図では明知遠山ではなく、光秀と同じ漢字である明智遠山になっていますね。
※どうやら、元々は「明智遠山」と名乗っていのが、江戸時代以降には「明知遠山」と変えていたそうです。
本能寺の変の追求を逃れるために変更した可能性が指摘されています。
そしてこの図によると、遠山景行と光秀の叔父である明智光安が同一人物であるとされています。
明智光安は、光秀の祖父である明智光継の三男とされていますが、景行も明智光継の三男として生まれ、明知遠山氏を継いだとなっているようです。
明智光安は、光秀の父が光秀の幼い頃に亡くなったため、光秀の後見を務め、齋藤義龍との戦に敗れたため、光秀を逃した上で自害したとされる人物です。
龍護寺の説明板によると、明智遠山家は光秀の叔父の家系とする説のようですが、異説という扱いになるようです。
長年大切にされてきた直垂については、著名な方の遺品である可能性がありそうに思いますが、遠山景行と明智光安が同一人物というのは厳しいように思います…。
龍護寺のある恵那市は光秀出生説のある場所ですが、いかが感じたでしょうか。
龍護寺へのアクセス
〒509-7718 岐阜県恵那市明智町東山
(〒509-7718 岐阜県恵那市明智町1389-1)
電話0573542540
明智線(東鉄バス)の明智駅前から徒歩で約9分
明知鉄道の明智駅から徒歩で約13分
明知鉄道の野志駅から徒歩約32分
周辺駐車場:無し
龍護寺の近くに若い頃の光秀が勉強したとされる学問所が残されていて、そこに行った記事です。
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