徳川家康(松平元康)– category –
徳川家康(松平元康)は、三河の弱小勢力であった松平氏の生まれで、幼少期から人質生活を余儀なくされています。
やがて、今川義元が討死すると独立し、織田信長と同盟関係を結んで勢力を拡大していきます。
信長亡き後、最終的には豊臣秀吉に主従しています。
秀吉没後、関ヶ原の戦いにおいて石田三成らを破り、征夷大将軍となって江戸幕府を開いています。
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徳川家康(松平元康)
徳川家康の名言と意味について
徳川家康は幼い頃から苦労を重ねながら、乱世を生き抜き260年以上も続いた江戸幕府を開いた人物です。 徳川家康は多くの名言を残しており、現代人でも座右の銘としている方もいらっしゃるようです。 今回は徳川家康の名言とその意味を書いています。 徳川... -
徳川家康(松平元康)
大岡弥四朗(大賀)|松平信康の家臣なのに武田勝頼に内通!?
大岡弥四朗(大賀弥四朗)は、徳川家康の嫡男・松平信康仕えて、町奉行を務めていた人物として知られています。 官僚としての能力が高かったそうですが、武田勝頼に内通し大岡弥四郎事件を起こした為、無残な最期を迎えています。 ここでは、大岡弥四朗(... -
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久松勝俊(松平康俊)は家康の弟|甲斐から脱出
久松勝俊(松平康俊)は、於大の方の子で徳川家康の異父弟でもあります。 徳川家康から兄弟に準ずると遇された久松勝俊(松平康俊)ですが、今川氏の人質となったり、武田信玄の甲斐に送られたりしています。 ここでは、久松勝俊(松平康俊)の生涯につい... -
徳川家康(松平元康)
徳川家康の戦歴、戦い一覧、戦績、戦いの数について
徳川家康は若い頃から戦に次ぐ戦の日々を送り、生涯で51回の戦を経験したと言われています。 徳川家康は武田信玄・武田勝頼・豊臣秀吉など強敵と渡り合った経験を糧に戦国の覇者に上り詰めます。 ここでは、徳川家康の戦歴や戦績について、徳川家康の主な... -
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徳川家康の家紋「葵紋」の由来、意味は?
徳川家康のの家紋は「丸に三つ葉葵」という葵紋の一つです。 この記事では、家康の家紋について、「丸に三つ葉葵」の由来、葵紋のバリエーションなどを書いています。 徳川家康の家紋 徳川家康は、「葵紋」の一種である「丸に三つ葉葵」という家紋を使用し... -
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徳川家康の年表を簡単・子供でも分かるように
徳川家康の年表を子供でも分かりやすく簡単に書いています。 また、年表内の年齢は数え年で表記しています。 先ずは徳川家康の概略を書きます。 徳川家康の年表と概略 弱小勢力であった松平氏の嫡男として生まれた徳川家康は、人質となることを余儀なくさ... -
徳川家康(松平元康)
松平氏と徳川氏の違い、得川氏に改姓した理由
徳川家康は松平氏として生まれ、松平の名字を名乗っていましたが、官位を求めて朝廷に働きかけた際、得川氏(徳川氏)の末裔を称し徳川氏に改姓しています。 この記事では徳川氏に改姓した理由、徳川氏の一門でも「徳川氏」と「松平氏」名乗りが違うのは何... -
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亀姫は徳川家康の長女で奥平信昌の妻
亀姫は徳川家康と築山殿(瀬名姫)の長女です。 徳川家康が武田氏や今川氏と対峙する中で、有力勢力であった奥平氏を味方につけるため、亀姫を奥平信昌に嫁がせています。 亀姫は四男一女をもうけますが、子供や夫に先立たれ、孫の後見人となっています。 ... -
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お万の方|徳川家康の側室で結城秀康の生母
お万の方(小督局)は、徳川家康の次男・結城秀康の生母となります。 元は、家康の正室・築山殿(瀬名姫)に仕える奥女中であったと言われています。 ここでは、お万の方(小督局)の生涯について書いています。 お万の方 家康の正室に仕える 天文17年(15... -
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西郡局「お葉」|徳川家康の側室で督姫の生母の生涯について
徳川家康の側室で督姫の生母・西郡局「お葉」とは、どのような人物でしょうか。 謎に包まれた西郡局の生涯と子孫について、また西郡局の出自であり徳川家康に攻められた鵜殿氏と西郡局の関係についても書いています。 西郡局「お葉」の生涯 大河ドラマ「ど...