「2019年7月」の記事一覧

明智光秀が丹波の地で慕われる理由

明智光秀
福知山城

明智光秀は、丹波国で慕われ、京都府福知山市には明智光秀を祀った神社もあります。 明智光秀といえば、本能寺の変を起こした謀反人として、あまり良くないイメージを持っている人もいると思いますが、丹波国の領民から慕われた名君としても知られています。 何故、丹波の領民に今もなお慕われているのか、光秀が慕われることになった所以の記事です。

明智光秀の肖像画~本徳寺の肖像画は明智光慶が描かせた!?~

明智光秀
明知光秀の肖像画の切り抜き

明智光秀唯一の肖像画は、大阪府岸和田市にある本徳寺(ほんとくじ)が所蔵しています。一説には、明智光秀の長男である明智光慶(あけち みつよし)が、出家して南国梵桂(なんごく ぼんけい)となり本徳寺を開基し、光秀の肖像画を描かせたとされています。光秀の肖像画について、明智光慶について記しています。

明智光秀の妻・妻木 煕子(ひろこ)

明智光秀
土岐桔梗

明智光秀の妻の名は、妻木 煕子(つまき ひろこ)または明智 煕子(あけち ひろこ)とされています。明智光秀の妻は謎に包まれていますが、妻の生涯、疱瘡(ほうそう)や黒髪の逸話、『兼見卿記』に見る光秀の妻の享年について記載しています。

明智光秀の娘・細川ガラシャ~キリスト教に改宗し誇り高く迎えた最期~

子孫
細川ガラシャと細川忠興の銅像

明智光秀の娘として知られる細川ガラシャは、光秀の子供の中でも一番知られた存在ではないでしょうか。 気高く聡明で、戦国一の美女とも言われる一方、幽閉生活を強いられた後に、戦国の世とはいえあまりにも悲劇的な最期を迎えます。 誇り高く生きた細川ガラシャの人生や、夫・忠興についても記載しています。

明智光秀の子孫と細川ガラシャの子孫

子孫
仁孝天皇(にんこうてんのう)の肖像画

明智光秀の子孫と光秀の娘である細川ガラシャの子孫について分かる範囲でまとめています。 明智光秀は謎が多く、光秀の子供が何人いるかも定かではありません。 子供が定かでないので、追跡できる子孫も限られますが、辿れるだけでも子孫の方は沢山いらっしゃいました。

明智光秀の生年

明智光秀
明知光秀の肖像画の切り抜き

明智光秀の生年月日は、信頼性の高い史料からは判別できず、いくつかの説があります。 一番有力視されている生年は、『明智軍記』を参照した享禄元年(1528年)説ですが、『当代記(とうだいき)』を参照した永正13年(1516年)とする説もあります。 その他光秀の生年は諸説ありますが、2つの内のどちからである可能性が高いとされてきました。 しかし近年、光秀と交流があった公家の吉田 兼見(よしだ かねみ)が記した日記から、天文9年(1540年)以降に生まれたと推定できるとする説も浮上しており、未だ定まっていません。 それぞれの説についての詳細を記載しています。

明智光秀の出生地と光秀の母について

明智光秀
明智城址

明智光秀の出生地は、岐阜県可児市広見(かにしひろみ)瀬田(せた)が有力であると目されていますが、他に岐阜県恵那(えな)市明智町、岐阜県山県(やまがた)市とする説もあります。 明智光秀は、謎の多い武将です。 研究はされているようですが、出生地や自身の母についても、詳細はわかっていません。 今回は、現在伝わっている範囲で、出生地と光秀の母についてまとめました。

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