「2019年6月」の記事一覧

明智光秀の父~明智家と齋藤道三~

明智光秀
齋藤道三の肖像画 2つ目

明智光秀の前半生は謎に包まれており、父についても諸説あります。 光秀の父には、どのような説が伝わっているのでしょうか。 また、光秀の父は齋藤道三(どうざん)に仕えていたとする説が有力です。 齋藤道三に仕えることになった経緯も記しています。

明智光秀と土岐氏~「ときは今~」の連歌に込められた想いとは~

明智光秀
源頼光の肖像画切り抜き

明智光秀の出自については美濃の守護家・土岐氏の一族で、土岐明智氏の出身とするのが通説となっています。美濃源氏とは何か、土岐氏は源氏の誰の代で派生し、土岐氏になったのか、明智氏は土岐氏の誰の代で派生し明智氏となったのかを記しています。また、本能寺の変の直前に「ときは今」と謀反を暗示するような句を残したと伝わります。その連歌についても記載しています。

石田三成と福島正則~関ケ原の戦いで何故、敵対したのか~

石田三成
福島正則

石田三成と福島正則(ふくしま まさのり)は、共に豊臣秀吉に幼少の頃から使えた家臣でありながら、なぜ関ヶ原戦いで協力できなかったのか。 疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。 福島正則と石田三成、豊臣家との接点をみながら、関ヶ原戦いで何故、徳川方についたのか考察します。

石田三成とキリシタン~キリスト教の禁止~

石田三成
南蛮人渡来図

石田三成はキリシタンではありませんが、キリシタンに関わる話が残されていますので紹介させていただきます。 石田三成に残るキリシタンの話は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)に豊臣秀吉の命令によって、キリスト教の信仰を理由に磔の刑が執行された時の話です。 何故このようなことが起きたのか、三成の対応についての記事です。

石田三成と淀殿(茶々)との関係

石田三成
淀殿の肖像画

石田三成と豊臣秀吉の側室である淀殿(茶々)が不適切な関係であったのではないかと話題になることがあります。 何故、石田三成と淀殿に関係があると囁かれるようになったのか検証しています。また、秀吉の子供と伝わる羽柴秀勝、鶴松についても記載しています。

真田家文書と石田三成~盟友・真田信之との関係~

石田三成
真田家の籠

真田家には、歴史的に貴重な文書である真田家文書が伝わっています。 今回は、真田家文書から見える石田三成についての記事です。 また、真田信之(さなだ のぶゆき)が石田三成の盟友であることは、あまり知られていないかもしれませんが、真田家文書を通して関係をみていきます。

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